概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
伊丹城(いたみじょう・別名有岡城)は、兵庫県伊丹市伊丹一丁目に所在する猪名川西岸の伊丹台地東南縁(標高約15メートル・比高約6〜8メートル)に築かれた中世・戦国屈指の平城跡である。国指定史跡(「伊丹城跡」)、続日本100名城(163番)。南北朝期に伊丹氏が構えた平城を起源とし、天正2年(1574年)に織田信長配下の荒木村重が城主となると、日本最古級の「総構(惣構)」を備えた巨大要塞「有岡城」へと大改修された。城郭(本丸・二の丸)と町屋・寺町を一体として外周約4キロメートルの大土塁と水堀・堀切で囲繞し、北の大手「鵯塚砦」、西の「上臈塚砦」、南の「岸の砦」を配置。現在はJR伊丹駅前に本丸跡が「有岡城跡史跡公園」として整備され、発掘調査で検出された野面積みの石垣、土塁、堀跡、井戸跡、礎石建物跡、さらに墨書土器や瓦類が出土展示されている。近世城郭の惣構構造の先駆けとして城郭史上極めて高い価値を有する。
歴史的役割
摂津国中枢に位置し、西国街道や有馬街道、猪名川・神崎川水運を直下に扼する軍事・政治・経済の要衝として機能した。天正6年(1578年)、荒木村重が信長に対し突如反旗を翻して籠城(有岡城の戦い)。信長は自ら大軍を率いて城を完全包囲した。この際、村重を説得に訪れた黒田官兵衛(孝高)が捕らえられ、約1年間にわたり城内の土牢に幽閉された逸話は名高い。信長軍の猛攻に対し、堅固な惣構と各砦の迎撃により約10ヶ月に及ぶ長期包囲戦に耐え抜いたが、天正7年(1579年)9月に村重が単身尼崎城へ脱出。同年11月に落城し、信長により妻子・重臣をはじめとする数百名が処刑された。その後、美濃から池田恒興・知正が入封したが、翌天正8年(1580年)に尼崎城へ移り廃城となった。戦国大名の権力抗争と城郭構造の革新を実証する第一級の史跡である。
見どころ
JR伊丹駅前に完存する本丸跡の荒々しい「野面積み石垣」群および天守台・隅櫓台状の石垣遺構、本丸を防御する深大な「空堀」および「土塁」の立体断面、発掘調査により露出・保存展示された「礎石建物跡」および生活用水の「石組み古井戸跡」、黒田官兵衛が幽閉された土牢を想起させる主郭の地下遺構展示、惣構の北端を守備した「鵯塚砦跡(伊丹廃寺跡・緑ケ丘公園周辺)」、西端の「上臈塚砦跡(墨染寺境内・荒木村重一族供養碑)」、伊丹市教育委員会設置の有岡城跡解説案内板および国史跡石碑、続日本100名城スタンプ設置場所(JR伊丹駅観光案内所・市立伊丹ミュージアム)