概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | あり(元:藩主邸表玄関、先:報恩寺) | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:陣屋門、先:上西家住宅等) |
| 遺構 | なし | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
麻田藩陣屋は、現在の大阪府豊中市蛍池中町(旧豊島郡麻田村)一帯に築かれた麻田藩青木氏1万2000石(分知後1万石)の藩庁・陣屋である。規模は南北約250メートル、東西約190メートルの鍵形をなし、東・北の2面を水濠が巡る本丸相当の内郭に藩主御殿や会議所・稽古場が配され、周囲の外郭に重臣・藩士の武家屋敷が立ち並んでいた。市街地化により現地に地表面の遺構は残らないが、跡地一角(旧蛍池公民館前・ルシオーレ西側)に「麻田藩陣屋跡」石碑と案内板が立つ。豊中市指定史跡。
歴史的役割
築城者の青木一重は初め徳川家康、のち豊臣秀吉に仕え黄母衣衆となった武将で、大坂の陣前後に家康へ再び臣従して摂津・伊予・備中に所領を得て当地に陣屋を構えた。青木氏は外様大名ながら徳川将軍家の信任篤く、大坂近郊の要衝支配や大坂城普請を担い、減封や転封を受けることなく14代・重義の明治維新に至るまで一貫して麻田の地を治めた。陣屋建造物の一部は解体後に分散移築され、藩主邸表玄関が春日町の報恩寺に、陣屋門(市指定有形文化財)が刀根山元町の上西家住宅等に残る。
見どころ
報恩寺に移築現存する藩主邸表玄関(市指定有形文化財)、上西家住宅の移築陣屋門(市指定有形文化財)、蛍池駅前の麻田藩陣屋跡石碑・案内板
ご当地グルメ
服部天神の福サブレ、豊中名物マチカネワニ料理、豊中うどん、北摂地酒(呉春等)、庄内ホルモン焼き
デジタル縄張図

おいど攻城記録
麻田藩陣屋跡


麻田陣屋跡
藩主を青木氏とする麻田藩は、石高一万余りの外様大名です。大坂の陣で、商大藩主は豊臣方の武将でしたが、陣後、家康に召され、ここ豊中市蛍池に本拠の陣屋を構えました。以後一貫して統治に存続した、豊中にゆかりの深い耐みょうけです。当時のことを期した絵図によると、陣屋は方形で周囲に濠をめぐらせ、面積五反歩余り(約1500坪)あったといわれています。

内部には大名の居住する御殿のほか、会議所・柔剣道場などがあり、周辺に家臣の邸宅がならんでいました。文久3年(1863)の記録によれば、家臣の数は百十人余りあったものと記されています。
※現地説明版より

麻田藩主邸表玄関


麻田藩陣屋門



