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100名城・続100名城 -
別称 三角山陣城、三角陣城、三角城陣城群、吉川・三角陣城群
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 435.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別陣城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者吉川元春
築城年永禄11年(1568年)
廃城年永禄12年(1569年)頃
主な城主吉川氏、小早川氏、毛利氏、益田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:435.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

三角城(三角城陣城群)は、北九州市八幡東区大字田代の企救山地西縁、豊前と筑前の旧国境尾根上の標高約437メートル峰(三角山)を中心に展開する戦国時代の山城(陣城群)跡である。北に連なる吉川城陣城群とともに、東側の谷を挟んで対峙する大友方の拠点・大三岳城および南東の小三岳城を包囲・監視する位置に占地する。福岡県の中近世城館跡調査によって大規模な陣城群であることが判明し、標高437メートルの三角城a(主郭)から尾根沿いに三角城b〜hまで複数の曲輪群(陣地)が分散・連郭状に配されている。山頂平坦面の削平段を中心に、尾根を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、土塁状の高まりなどの土木遺構が山林内に良好に遺存している。

⚔️ 歴史的役割

永禄11年(1568年)、豊後大友氏の傘下に入った豊前の有力国人・長野氏(三岳長野氏)の大三岳城・小三岳城を攻略するため、毛利元就の命により九州へ出陣した吉川元春・小早川隆景・益田藤兼ら率いる毛利軍によって築城された対陣・包囲用の陣城群である。長野氏の拠る三岳山系を西方および北方の尾根筋高所から圧迫すべく、吉川城と連携して広範囲に陣所を布陣・連動させ、徹底した包囲戦を展開した。激戦の末に長野氏を降伏に追い込み、毛利方の北九州橋頭堡の防衛に大きく寄与した。その後、大友方の反攻や中国地方での情勢変化に伴う毛利本隊の撤退に伴い、短期間の陣城としての役目を終えて放棄・廃城となった。

👀 見どころ

三角城a(標高437m峰)を中心に尾根伝いに連なる多数の陣城郭群(三角城a〜h)、尾根筋を遮断する堀切および削平された段曲輪群、谷を隔てて対峙する大三岳城・小三岳城との実戦的な対陣地形、各郭周囲の急峻な切岸、豊前・筑前の国境山稜から八幡・企救方面を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

北九州モノレール徳力嵐山口駅から車・タクシーで約15分、またはJR鹿児島本線八幡駅から西鉄バス河内温泉方面行きで「田代」下車、林道・山道経由で徒歩約45分(北九州霊園方面の尾根管理道からもアクセス可)

車でのアクセス

北九州都市高速4号線 大谷出入口から河内貯水池・県道62号経由で南へ車で約20分、または九州自動車道 小倉南ICから約20分

駐車場

有(河内貯水池周辺駐車場、無料約20台/または北九州霊園周辺駐車スペース)

📍 周辺地図

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