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100名城・続100名城 -
別称 水上山城、水上城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 420.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)頃
主な城主長野氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:420.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

水上城は、北九州市小倉南区大字合馬の水上山(標高約420メートル、比高約370メートル)山頂部に位置する中世山城跡である。合馬川流域から紫川水系、さらには企救郡南部の山間交通路を見下ろす天然の険峰に占地する。主郭は標高420メートルの山頂に置かれ、北東から南西に伸びる尾根上を削平した曲輪が配されている。主郭の南側尾根には幅広の堀切が穿たれて尾根筋を遮断し、郭の縁辺部には浅い溝や土塁状の高まり、切岸などの土木遺構が残存する。また山本城から水上城へと至る山腹尾根筋(標高約250メートル付近)にも堀切地形が認められ、北端尾根部には石祠が祀られている。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳に山城遺跡として登載されている。

⚔️ 歴史的役割

城史に関する詳細な記録は乏しいが、合馬・三岳・山本周辺を長年支配した有力国人・豊前長野氏の一族あるいはその被官に関連する詰城・狼煙台ネットワークの一角と推測される。合馬川沿いから八幡・田代方面や企救郡南部を結ぶ山間間道を監視・防備する軍事拠点として機能した。永禄11年(1568年)の毛利軍侵攻(大三岳城・小三岳城の戦い)をはじめとする北九州を巡る大友氏・毛利氏の激突期においても、後背の山岳防衛線・物見砦として活用された可能性が高い。天正14〜15年の豊臣秀吉による九州征伐に伴い、長野氏の没落・国割替とともに役目を終えて廃城となったと考えられる。

👀 見どころ

山頂主郭南側尾根を幅広く断ち切る堀切遺構、山腹(標高約250m付近)に遺存する尾根遮断の堀切地形、主郭縁辺の土塁状の高まり、急峻な山容を活かした天然の切岸斜面、標高420メートルの山頂から合馬の竹林谷や企救連山を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

合馬のたけのこ料理(合馬筍)、小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

北九州モノレール徳力嵐山口駅から西鉄バス合馬・中谷方面行きで「合馬」下車、山本城跡登山口を経て尾根伝いに徒歩約1時間(または車・タクシーで合馬竹林周辺林道入口より山道徒歩約45分)

車でのアクセス

九州自動車道 小倉南ICから国道322号および県道61号小倉中間線経由で西へ車で約15分、または北九州都市高速5号線 若園出入口から約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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