概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
唐山西城は、福岡県大野城市大字乙金と糟屋郡宇美町の境に位置する井野山(唐山)山塊の西峰頂部(標高約210メートル、比高約170メートル)に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や大野城市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。井野山山頂の唐山東城(本峰)、中央峰の「下城」とともに一体的な複合山岳防衛線を形成しており、西峰部分は地元で「調馬場」「的馬場」の伝承地として知られる。東西に細長い尾根筋を階段状に削平した連郭式の曲輪群が展開し、主郭西端や東側の中央峰へ至る鞍部には堀切が穿たれ、曲輪縁辺部には明瞭な切岸および土塁状の高まりが残存する。御笠川流域の平野部や大宰府政庁跡・水城跡方面を西眼下に直接俯瞰する要衝に占地する。
歴史的役割
井野山城(唐山城)群の西翼を担う前哨防御拠点・兵馬調練所として築かれたと伝わる。築城者は東城と同じく神武秀宗、または大友氏配下の在地領主・安河内氏と伝えられる。博多・粕屋平野から大宰府(岩屋城・宝満山城)へと通じる唐山峠や乙金越えの交通路を西側正面から直接監視・迎撃する重要な軍事的位置を占めた。大友氏と毛利氏が激突した立花山城の戦いや、秋月種実による筑前侵攻に際しても、大宰府北東方面の警戒網および大野城山塊北麓の防御ラインとして機能した。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城攻撃の際にも大宰府近郊の前哨拠点として緊張下に置かれ、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて廃城となった。
見どころ
東西に延びる尾根筋を平坦に削平した「調馬場・的馬場」と伝わる長大な削平曲輪群、尾根続きからの敵軍侵入を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪周囲を取り巻く急峻な切岸加工面と土塁痕跡、井野山山頂(唐山東城・下城)と連携した複合城郭群の遺構配置、西峰から大野城市街・太宰府・水城跡・博多平野方面を間近に見晴らす哨戒拠点ならではの眺望
ご当地グルメ
大野城鶏高菜飯、博多ラーメン、博多もつ鍋、宇美八幡名物子安餅、太宰府名物梅ヶ枝餅