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100名城・続100名城 -
別称 千代本ケ城、千代本城、山口ちよほんが城、ちよほんが城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 359.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者筑紫氏
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:359.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

ちよほんが城は、福岡県筑紫野市大字山口の天拝湖南西、基山(標高404.5メートル)の北北東約1.4キロメートルにそびえる標高約360メートル(比高約230メートル)の山頂稜線部に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市遺跡台帳に登載されている。基山から北へ派生する山岳尾根筋の要衝に占地し、主郭を中心に尾根に沿って複数の平坦削平曲輪が連郭状に配されている。尾根筋からの敵兵侵入を遮断するための堀切や空堀、曲輪の周囲を切り落とした急峻な切岸加工面、土塁状の高まりが良好に残存する。東麓の山口川・原田川流域低地、北方の天拝山・博多見城、南方の肥前国境(基肄城・木山城)を一望する天然の高山要塞であり、筑前・肥前国境の山岳間道を監視する要害であった。

⚔️ 歴史的役割

筑前・肥前国境一帯を領有した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークに属する山岳出城・哨戒砦として機能した。南に隣接する基山山頂の中世木山城や勝尾城、北方の博多見城や天拝山城(天判山城)と連絡を取り合い、筑紫平野と大宰府方面を結ぶ間道や背後の山岳ルートを監視・防衛する軍事的重要拠点を担った。戦国末期における大友氏・筑紫氏・秋月氏の抗争、さらに天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦の際にも国境山岳地帯の警戒・迎撃にあたったと推測される。天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、筑紫広門の上妻郡移封と領主層の再編が行われたことで、山岳砦としての役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

標高約360mの山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋を断ち切る遮断堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段状に連なる連郭式の段曲輪群、山頂稜線部から筑紫野平野・天拝湖・基山(古代基肄城・木山城跡)・博多見城方面を見晴らす山岳哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(32城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線原田駅から西鉄バス(筑紫野ニュータウン方面)等で「山口」下車、天拝湖・山口集落南西側の山道・林道を経て山頂主郭まで登山徒歩約45分(JR原田駅から約4.5km、または天拝湖畔より登山)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパスおよび県道経由で南西へ車で約15分、または鳥栖ICから北西へ車で約18分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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