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100名城・続100名城 -
別称 勢田萱城、萱城跡、萱砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 116.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、麻生氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:116.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

萱城(かやじょう)は、福岡県飯塚市勢田(旧嘉穂郡頴田町)の標高約120メートル(比高約70メートル)の独立性をもつ丘陵頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳、城郭専門調査資料に登載されている。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭式に配されている。尾根続きには敵の侵攻を遮断するための堀切や空堀が穿たれ、曲輪縁辺部には切岸加工面や土塁痕跡が良好に残存する。西側を流れる遠賀川水系低地平野部や勢田・頴田盆地、および筑豊炭田地帯の南北交通路(直方・飯塚間を結ぶ街道筋)を眼下に広く見下ろす位置に占地し、平野部の動向を鋭く監視・管制する軍事的前哨砦として機能した。

⚔️ 歴史的役割

戦国期において遠賀川中流域・嘉穂郡北部を支配下に収めた秋月氏や、北方の遠賀郡・鞍手郡を本拠とする麻生氏らの勢力争いの境目に位置した。近隣の鹿毛馬神籠石周辺や許斐山城、茶臼山城などと連携し、遠賀川水運および南北幹線街道筋を往来する敵軍の動きをいち早く察知・牽制する哨戒・前線防衛の重責を担った。永禄から天正年間に至る大友氏・宗像氏・秋月氏の角逐の中で緊迫した軍事拠点として機能したが、天正14年(1586年)から翌天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の再編が行われたことで、前哨砦としての役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

標高約120mの丘陵山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段階状に造成された連郭式の段曲輪群、山頂部から勢田平野・遠賀川流域・小竹・直方・飯塚方面の盆地平野を見晴らす哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(6城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(福北ゆたか線)小竹駅から車で約8分、または鯰田駅から車で約10分(勢田集落・頴田病院方面より北東側丘陵の山道・農道を経て山頂主郭まで徒歩約15分、小竹駅から約3.5km)

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道201号および国道200号バイパス経由で北へ車で約15分、または九州自動車道 八幡ICから南へ車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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