概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
城山城(じょうやまじょう)は、福岡県飯塚市北古賀(旧嘉穂郡穂波町)の北側にそびえる標高135メートル(比高約90メートル)の「城の山」山頂部および派生尾根筋に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳、城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。北西約500メートルに位置する小佐古城の南東側に位置し、山頂の主郭部は自然地形に近い緩斜面が広がる。顕著な遺構として山頂西裾の鞍部を断ち切る明瞭な堀切・空堀が穿たれている。東側へ延びる尾根筋は緩やかな自然傾斜を呈し、急造の陣城・砦的な様相を色濃く残す。穂波川中流域低地平野部や桂川・嘉穂盆地西部、および大分方面から南下する街道筋を眼下に俯瞰する要衝に占地する。
歴史的役割
戦国大名・秋月氏の端城(出城・哨戒拠点)と伝えられる。穂波郡南部から桂川・嘉穂盆地にかけての地域は、古処山城を本拠とする秋月種実勢力にとって西方の三郡山系(大友・高橋勢力)および筑紫平野方面からの侵攻ルートを警戒する重要な防衛ラインにあたる。北西の小佐古城や大分城、南西の高の山城などと連携し、街道沿いの軍勢移動を監視・遮断する前哨砦として機能した。天正年間における大友氏と秋月氏の抗争の中で維持されたが、天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となった。
見どころ
山頂西裾の尾根鞍部に穿たれた明瞭な堀切・空堀遺構、標高135mの「城の山」山頂部に広がる主郭平坦緩斜面、西側尾根筋から山頂へ至る登城ルートの要害地形、北古賀集落の直背後に位置し街道筋を扼する前哨砦ならではの立地構造、山頂部から桂川平野・穂波川流域および筑豊盆地南部の山並みを見晴らす哨戒拠点ならではの眺望景観
ご当地グルメ
飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅