概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小雀城(こしずめじょう)は、神奈川県横浜市戸塚区小雀町(旧相模国鎌倉郡小雀郷)の柏尾川西岸に面した標高約55メートル(比高約35メートル)の舌状丘陵上に所在した中世城郭(砦・平山城)跡である。大船駅北西に位置し、柏尾川低地および相模野台地南端の谷戸を見下ろす要衝を占地する。城山と呼ばれる尾根上に主郭および複数の曲輪が連郭式に造成され、尾根基部を遮断する堀切や空堀、土塁、急峻な切岸加工段が配されていた。現在は小雀浄水場建設や周辺の宅地・農地開発により改変を受けている部分があるものの、城山尾根の北西側山林や斜面沿いに堀切状の凹地や切岸、段状平坦面が残存している。鎌倉街道(下の道・山内方面)や柏尾川水運を扼し、玉縄城の北西防衛線を担う前哨拠点であった。
歴史的役割
室町時代後期から戦国時代にかけて、扇谷上杉氏あるいは相模に進出した小田原北条氏によって築城・再編された砦と伝わる。永正9年(1512年)の伊勢宗瑞(北条早雲)による鎌倉進出以降、玉縄城が築かれるとその北西約2キロメートルの至近に位置することから、玉縄城の北方防御および境目警戒を担う出城・外郭支城として機能した。鎌倉防衛の要地であるとともに、戸塚方面から南下する敵勢力をいち早く察知して玉縄本城へ通報・迎撃する役割を果たしたと考えられる。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐において、玉縄城主・北条氏勝が徳川家康に開城・降伏した前後に城郭としての役目を終え、廃絶したと推測される。
見どころ
城山尾根頂部および北西斜面に残存する堀切・空堀状の開析地形、尾根筋に沿って階段状に造成された曲輪群の切岸斜面、主郭推定地周辺に確認できる土塁状の高まり、玉縄城北西面の防衛線を形成した中世丘陵要塞の地勢景観、柏尾川流域および大船・戸塚方面を見渡す街道監視拠点ならではの展望
ご当地グルメ
戸塚宿そば、大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、戸塚名物十勝甘納豆・どら焼き