概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
鎌刃城(かまのはじょう)は、滋賀県米原市番場に所在する中山道と北国街道の分岐点を扼する龍堂山山頂(標高約384メートル、比高約270メートル)に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。国の史跡、続日本100名城(153番)に選定。室町期に北近江の在地領主・堀氏により築かれたと伝わる。尾根筋に沿って南北約400メートルにわたり主郭(本丸)、大池、大堀切、水の手、南曲輪群、北曲輪群が直線状に展開する連郭式山城の縄張を持つ。発掘調査では主郭や虎口周辺から戦国期屈指の古い年代に属する野面積み石垣が多数検出され、さらに山城としては全国的にも極めて珍しい石垣で護岸された湧水池「大池(水の手)」や石組暗渠排水路、礎石建物跡、瓦片などが確認された。土塁と大堀切、多数の竪堀による厳重な土木防御と初期石垣技術が融合した戦国山城の傑作として学術上高く評価されている。
歴史的役割
北近江の浅井氏と南近江の六角氏の勢力境界線上に位置し、東海道・中山道および琵琶湖方面を繋ぐ交通・軍事の最要衝として激しい争奪戦が繰り広げられた。城主・堀秀村は当初浅井長政に属していたが、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに際して織田信長配下の木下藤吉郎(豊臣秀吉)の調略を受け、家老・樋口直房とともに信長方へ寝返った。これにより信長軍は南近江から小谷城へと迫る兵站・進撃路を確保し、浅井氏滅亡の大きな契機となった。その後、天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡するとその軍事的役割を終え、翌天正2年に樋口直房の失脚・越前一向一揆への関与に伴い堀秀村も改易され、間もなく廃城となった。後世の大規模な近世改修を受けず山中にそのまま埋もれたため、織豊前夜における先進的な石垣山城の遺構群が極めて良好な状態で今日まで保存された。
見どころ
主郭周囲を取り巻く戦国期初頭の貴重な「野面積み石垣群」および「主郭(本丸)虎口」遺構、山頂尾根直下に位置し石垣で美しく護岸された全国的にも稀有な山城の湧水池「大池(水の手)」、主郭南側を深く鋭利に断ち切る深さ約8m・幅約12mにおよぶ圧巻の「大堀切」、斜面に連続して刻まれ敵の横移動を阻止した「竪堀群」および「堀切群」、城兵の長期籠城を支えた石組暗渠排水路や井戸跡、南曲輪群・北曲輪群に整然と配置された段状の削平地と切岸、山頂から琵琶湖・伊吹山・長浜平野・中山道番場宿を一望する雄大なパノラマ、山麓に位置する名刹・蓮華寺(番場宿・聖徳太子創建伝承)、国指定史跡碑・案内板