概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 石垣あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
勝連城(かつれんグスク)は、沖縄県うるま市勝連南風原に所在する勝連半島の丘陵先端部(標高約98メートル)に築かれた琉球王国期屈指のグスク(城郭)跡である。国の史跡、続日本100名城(200番)に選定、ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産。12〜13世紀に築かれ始め、15世紀中頃の10代按司・阿麻和利の時代に最盛期を迎えた。自然の石灰岩断崖を巧みに取り込み、標高差を活かして頂部の一の曲輪から二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと段状に下る階郭式縄張を持つ。布積み・相方積みで築かれた城壁は優美な流線形を描き、曲線石垣が連なる。発掘調査では中国産青白磁や元・明代の陶磁器、タイ・ベトナムの陶器、鉄器、さらにはローマ帝国の銅貨やオスマン帝国の硬貨まで出土し、中継貿易で莫大な富を誇った海洋交易王国の実態が実証されている。
歴史的役割
首里の中山王権(尚泰久王)に対抗した有力按司・阿麻和利の本拠として激動の琉球戦国史を象徴する軍事・政治・通商拠点であった。勝連半島は良好な港(屋慶名港等)を擁し、阿麻和利は海外直接交易を展開して独自の経済基盤と鉄器・火薬などの最新軍備を蓄えた。王府はその強大化を警戒し、忠臣・護佐丸を中城城へ配置して勝連を牽制させるとともに、尚泰久王の娘・百度踏揚を阿麻和利に嫁がせた。しかし阿麻和利は王府に「護佐丸に反乱の兆しあり」と讒言して護佐丸を滅ぼし、次いで首里王府を急襲しようと企てたが、妻・百度踏揚と鬼大城(越来賢雄)の通報により露見。王府軍の反撃を受け、本城に籠城した阿麻和利は鬼大城率いる軍勢に攻め滅ぼされた(護佐丸・阿麻和利の乱)。落城後は廃城となり、琉球統一権力の中央集権化が決定づけられた。
見どころ
琉球石灰岩を精緻に噛み合わせ波打つように優美な曲線を描く「布積み・相方積みの高石垣(グスク城壁群)」、四の曲輪から三・二・一の曲輪へと高低差を登る防御動線と侵入者を阻む「すり鉢状の右折れ登城階段」、城内中枢で神仏を祀り祭祀空間としての機能も持った一の曲輪の「ウシヌジガマ」および「玉のミウヂ御嶽」、城兵と民衆の生命線を支えた豊富な湧水遺構「ウタミシガー」「メーガー(井戸跡)」、一の曲輪(標高98m)から中城湾・金武湾・太平洋・勝連半島・海中道路を一望する息を呑む360度大パノラマ、出土したローマ銅貨や貿易陶磁器を展示しライブ舞台・歴史展示を行うガイダンス施設「あまわりパーク(続日本100名城スタンプ設置)」、世界遺産標柱・国指定史跡碑・解説案内板