概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(公園入口冠木門設置) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
川尻城(かわじりじょう)は、愛知県新城市作手高里字城山に所在する作手盆地北端の独立低丘陵・城山(標高約570メートル、比高約40メートル)頂部に築かれた奥三河国衆・作手奥平氏発祥の平山城跡である。応永31年(1424年)3月、上野国から三河作手へ移住した奥平貞俊が奥平氏の最初の本拠として築城した。山頂の主郭(本丸)を中心に帯曲輪や腰曲輪を階段状に配し、南西側の尾根筋を堀切や竪堀、切岸で遮断した中世山野城郭の縄張を持つ。貞俊は築城後まもなく南方の亀山城へ居城を移したが、川尻城は作手盆地北方の抑えおよび詰城・支城として維持された。現在は「創造の森城山公園」として遊歩道や模擬冠木門が整備され、本丸跡の削平地や土塁、堀切、竪堀、古井戸跡が明瞭に残る。春には水芭蕉やミツバツツジ、冬にはマンサクの花が咲く自然豊かな史跡公園となっている。
歴史的役割
近世譜代大名・中津藩奥平家10万石の礎となった三河奥平氏が最初に旗揚げした歴史的発祥の地である。南北朝期に新田義貞に従った上野国甘楽郡奥平郷の奥平一族は、足利方に追われて関東を出奔。天授年間に奥平貞俊・定家父子が妻の縁者である作手郷の武士を頼り、鴨ヶ谷の甘泉寺に寓居した。成長した嫡男・貞久とともに奥平家の再興を期した老将・貞俊が75歳の時に築いたのが本城であり、「奥平の家をここから興すのじゃ」と誓ったと伝わる。築城から約8ヶ月後に本拠を亀山城へ遷した後は北の防衛拠点として機能し、戦国期の武田・今川・徳川の三つ巴の抗争下でも作手防衛網の一翼を担った。天正元年(1573年)の奥平氏の武田離反と徳川帰属、天正3年の長篠・設楽原の戦いを経て奥平家が飛躍する原点となった城郭として高い史料的価値を有する。
見どころ
城山山頂に広がり作手盆地を一望する広大な「本丸跡(主郭平坦地)」および周囲を取り巻く段状の「腰曲輪群」、尾根筋からの敵の侵入を鋭利に断ち切る「堀切」および斜面に掘削された「竪堀」・「切岸」遺構、主郭背面に残る防壁用の「土塁」および生活用水を確保した「古井戸跡」、山頂本丸から古宮城跡・亀山城跡・文殊山城跡・塞之神城跡など作手盆地に展開する国衆城郭網を見渡す眺望、創造の森城山公園入口に整備された木造の「川尻城冠木門(公園門)」、早春のマンサクや水芭蕉・ミツバツツジが自生する湿生花園景観、作手中学校東側の登城口に設置された城址碑・解説案内板