概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
石見城(いわみじょう)は、島根県大田市仁摩町大国に所在する石見銀山と日本海沿岸(仁摩・鞆ヶ浦)を結ぶ交通路上に聳える標高約180メートル(比高約130メートル)の山頂部に築かれた中世山城跡である。通称「大国城」「城山」。国の史跡(世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」を構成する城郭遺跡群の重要関連城郭)。鎌倉末期から南北朝期に石見守護職・石見義綱が築いたことに始まると伝わる。山頂の主郭(本丸)を中心に東西の痩せ尾根沿いに二の丸、三の丸、帯曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根筋を断ち切る鋭利な堀切、山腹斜面を遮断する竪堀・横堀、主郭周辺の土塁や石垣(石積み)、急峻な切岸、籠城用井戸跡が極めて良好に遺存する。近年の総合調査でも石見銀山防衛網の西の要としてその堅牢な土木構造が高く評価されている。
歴史的役割
戦国期における世界屈指の銀産出地「石見銀山」の鉱山支配および積出港(鞆ヶ浦・沖泊)を扼する防衛拠点として極めて重要な軍事中枢を担った。大内氏、尼子氏、毛利氏が石見銀山の権益を巡り激突する中、在地領主の石見氏や温科氏、邑智郡の小笠原氏らが城主となり、銀山争奪の攻防戦で数々の攻城戦の舞台となった。天文年間以降、毛利元就が石見経略を本格化させると、石見城は毛利方の重要拠点・山吹城の西側前哨陣地として機能。銀山から積出港である鞆ヶ浦へ銀を搬出する街道「銀の道(鞆ヶ浦道)」の警備・中継要衝を完全に掌握した。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に毛利氏が防長2カ国に減封され、徳川幕府が石見銀山を直轄天領化したことに伴い城郭としての役目を終えて廃城となった。銀山支配と中世海運連絡網の防衛実態を如実に示す貴重な国指定史跡である。
見どころ
山頂主郭背後の尾根筋を鋭利に掘削して敵の侵攻を遮断した「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」・「横堀」遺構、主郭周囲に遺存し中世山城の防壁を物語る「石垣(石積み)」および「土塁」、山腹を削り落とした険峻な「切岸」と山頂付近に残る「井戸跡」、東西尾根沿いに階段状に展開する「本丸・二の丸・三の丸」の広大な削平段群、山頂から見晴らす大国の山間集落・石見銀山方面の山並みおよび日本海方面の遠望パノラマ、世界遺産石見銀山の銀積出港「鞆ヶ浦」へと続く古道「銀の道」との位置関係、登山口に設置された国史跡標柱・詳細な縄張図付き解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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