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100名城・続100名城 126
別称 坂戸要害、坂戸山城、城山、坂戸城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 633.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・階郭式複合
築城者新田政義(上田長尾氏改修)
築城年鎌倉時代中期(嘉禄・承久年間頃新田氏、天文期長尾氏大改修)
廃城年慶長15年(1610年)堀直寄の飯山転封に伴い廃城
主な城主新田氏、長尾氏、上杉氏、堀氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:633.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

坂戸城(さかどじょう)は、新潟県南魚沼市坂戸に所在する魚野川東岸に聳える独立峰・坂戸山(標高約634m、比高約470m)山頂から山麓にかけて築かれた越後屈指の巨大山城跡である。国の史跡。続日本100名城(126番)。鎌倉期に新田政義によって築かれたと伝わり、戦国期には上杉謙信麾下の重臣・上田長尾氏(長尾政景・上杉景勝)累代の本拠として大拡張された。山頂の実城(本丸)を中心に東西南北の痩せ尾根上に二の丸、三の丸、大城戸、百松ノ木郭などの曲輪群を展開。山麓には重厚な石垣・土塁・水堀・切岸を備えた「御館(山麓居館跡)」が広がる。山上の尾根筋には深大な大堀切や畝状竪堀群が連続して刻まれ、山頂要塞と山麓政庁居館が一体となった根小屋式山城の完成形を示す。発掘調査では山麓居館から礎石建物跡や多数の輸入陶磁器が出土している。

⚔️ 歴史的役割

上野・信濃と越後を結ぶ三国街道および魚野川水運を直下に扼する最重要軍事・政治拠点であり、戦国動乱期における越後覇権争奪の焦点となった。長尾政景は上田衆を率いて越後守護代・長尾景虎(上杉謙信)に対抗したが、後に和睦し謙信の姉・仙桃院を娶った。その子・上杉景勝および名宰相・直江兼続の生誕・成長の地として名高い。謙信急死後の「御館の乱(1578年)」では、景勝を支える本拠軍事基盤として春日山城制圧の決定打となった。天正6年(1598年)の上杉氏会津転封後は堀秀治の重臣・堀直寄が坂戸5万石で入城し、山麓居館に近世的な野面積み石垣を導入・改修した。慶長15年(1610年)に越後福嶋騒動を経て直寄が信濃飯山へ転封となると廃城となった。中世国衆から織豊系大名への過渡期における城郭変遷を如実に示す記念碑的要塞である。

👀 見どころ

標高634mの坂戸山頂に削平された「実城(本丸跡)」および富士見ノ砦・大城戸等の峻険な連郭式曲輪群、尾根筋を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および斜面に無数に連続する「畝状竪堀群」、山麓居館跡(御館)周囲を取り巻く大規模な「野面積み石垣(石積み)」および「土塁」・「虎口」遺構、山腹を削り落とした威圧的な「切岸」と山頂・山麓に現存する「井戸跡」、山頂の実城跡から見晴らす南魚沼盆地(六日町市街)・魚野川・八海山や巻機山をはじめとする越後山脈連峰の大パノラマ絶景、山麓の銭淵公園に整備された国史跡坂戸城跡碑・直江兼続公生誕顕彰碑・詳細な縄張解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR上越線および北越急行ほくほく線六日町駅東口から東へ徒歩約20〜25分、坂戸山麓薬師尾根・鳥坂神社登城口より本丸跡まで徒歩登山約40〜50分(南魚沼市坂戸・魚野川東岸独立峰坂戸山山頂および山麓一帯、主郭標高約634m、魚野川平地比高約470m)

車でのアクセス

関越自動車道 六日町ICから国道253号・国道17号経由で東へ車で約10分、または湯沢ICから国道17号経由で北へ約25分

駐車場

有(銭淵公園駐車場・坂戸城跡登城口駐車場、普通車無料約100台)

📍 周辺地図

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