概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
葛尾城(かつらおじょう)は、長野県千曲市大字磯部および埴科郡坂城町にまたがる千曲川東岸の急峻な独立山塊・葛尾山山頂部(標高約805m、比高約460m)に築かれた中世信濃屈指の巨大山岳要塞跡である。千曲市・坂城町指定史跡。清和源氏の流れを汲む北信濃の雄・村上氏累代の本拠。山頂の本丸(主郭)を中心に南東へ伸びる主尾根上に二の丸、三の丸、出丸、帯曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な大堀切や斜面に穿たれた連続竪堀群、主郭縁辺部を巡る土塁、要所に配された石積み(石垣)、山腹を削り落とした威圧的な切岸、山上井戸跡が明瞭に残る。山麓の坂城宿平坦地には居館(村上氏館)を構え、背後の山稜に詰城を配した典型的な根小屋式山城であり、千曲川の狭窄部と北国街道の咽喉部を一挙に睥睨・封鎖する卓越した地勢を誇る。
歴史的役割
北信濃の覇権を握った名将・村上義清の居城として、甲斐の武田晴信(信玄)による信濃侵略を幾度も撃退した激戦の舞台として日本戦国史上極めて高い名声を誇る。村上義清は上田原の戦い(1548年)や砥石崩れ(1550年)で武田軍を二度にわたり壊滅的敗北に追い込んだ。しかし真田幸隆の調略により砥石城が落ち、重臣・屋代氏らが相次いで武田方に内応すると、天文22年(1553年)に晴信自ら率いる本隊に包囲され、義清は当城を自焼・放棄して越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼って敗走した。これにより謙信と信玄が激突する「川中島の戦い」の直接の契機となった。武田領有後は北信前線への補給・警戒拠点となり、武田氏滅亡・本能寺の変を経て村上旧臣の屋代秀正が一時奪還したが、上杉景勝との対立の過程で放棄され廃城となった。北信濃国衆の権力基盤と武田・上杉抗争の幕開けを象徴する記念碑的要塞である。
見どころ
葛尾山頂の最高所に削平された広大な「本丸跡(主郭)」および尾根筋に段状に連なる「二の丸・三の丸」の重厚な連郭式曲輪群、尾根続きからの進攻を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および山腹斜面に掘削された「連続竪堀群」・「空堀」、主郭縁辺部に残存する「土塁」および要所の斜面を固めた「石積み(石垣)」痕跡、山腹を削り落とした峻険な「切岸」と山頂部の「井戸跡」、山頂展望台から見渡す千曲川の蛇行・坂城および上田盆地・善光寺平・遠く北アルプス連峰の360度大パノラマ絶景、山麓の村上氏館跡(満泉寺等)や坂城神社、史跡標柱および詳細な縄張解説案内板