武蔵 北秋津城
おいど攻城記録 北秋津城跡 住宅地に囲まれた私有地につき、登城叶わず。 2025/7最終訪問
本丸のみ曲輪を配置した方式
おいど攻城記録 北秋津城跡 住宅地に囲まれた私有地につき、登城叶わず。 2025/7最終訪問
おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城
概要 大智庵城は、室町時代後期に宗家松浦氏の本城として築かれた平山城である。延徳2年(1490年)に第14代松浦定が武辺城から移り築城した。相浦川南岸の丘陵を利用した堅固な城であったが、明応7年(1498年)に平戸松浦弘… 続きを読む »肥前国 大智庵城 [Daichian Castle]
城犬のおいど 攻城記録 筑紫小学校 筑紫氏居館跡と推定される場所は現在筑紫小学校となっている。そのため、撮影等は控えさせて頂いております。 2026/3最終訪問
城犬のおいど 攻城記録 2026/3最終訪問
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 長峰城は、文明11年(1479年)に豊田氏の一族である長峰右近将監正次によって築かれ、豊田城の支城としての役割を担っていました。発掘調査では、郭や腰曲輪、堀や土… 続きを読む »常陸国 長峰城(つくば市) [ NAGAMINE CASTLE ]
概要・現地案内板 「横山党」と呼ばれる武士団は、12世紀後半八王子から南に進み、境川流域の相原に館を構え粟飯原と名のり、この兄弟の一族が勢力を広めて、小山・矢部・田名氏などを名乗りました。上矢部の土塁は、古くより矢部氏の… 続きを読む »相模 矢部城
概要・現地案内板 石橋城は、奥平2代貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、近辺の地名「石橋」を称し、三代貞昌の家臣となった。久勝の子、弾正繁昌は、天文6(1537)年9月、主君への謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄… 続きを読む »三河 石橋城
概要・現地案内板 白浜板戸の一色の海岸沿いに天保年間(1830~44)に建てられたという沼津清水藩の陣屋があったと伝わる。弘化4年(1847)に作られた白浜村絵図には御役所・御屋鋪・兵粮蔵・武器蔵・焔硝蔵などが記され、常… 続きを読む »伊豆 一色陣屋
概要・現地案内板 伊東を発祥の地として全国に広がった伊東氏は、平安時代末期に、ここに住み着いた藤原南家工藤氏に始まるといわれます。曽我兄弟の祖父伊東祐親の二代前、伊東家次が初代と考えられています。伊東家は、以後鎌倉時代を… 続きを読む »伊豆 伊東館