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単郭式

本丸のみ曲輪を配置した方式

武蔵 藤橋城

おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城

筑前 筑紫氏居館

城犬のおいど 攻城記録 筑紫小学校 筑紫氏居館跡と推定される場所は現在筑紫小学校となっている。そのため、撮影等は控えさせて頂いております。 2026/3最終訪問

相模 矢部城

概要・現地案内板 「横山党」と呼ばれる武士団は、12世紀後半八王子から南に進み、境川流域の相原に館を構え粟飯原と名のり、この兄弟の一族が勢力を広めて、小山・矢部・田名氏などを名乗りました。上矢部の土塁は、古くより矢部氏の… 続きを読む »相模 矢部城

三河 石橋城

概要・現地案内板 石橋城は、奥平2代貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、近辺の地名「石橋」を称し、三代貞昌の家臣となった。久勝の子、弾正繁昌は、天文6(1537)年9月、主君への謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄… 続きを読む »三河 石橋城

伊豆 一色陣屋

概要・現地案内板 白浜板戸の一色の海岸沿いに天保年間(1830~44)に建てられたという沼津清水藩の陣屋があったと伝わる。弘化4年(1847)に作られた白浜村絵図には御役所・御屋鋪・兵粮蔵・武器蔵・焔硝蔵などが記され、常… 続きを読む »伊豆 一色陣屋

伊豆 伊東館

概要・現地案内板 伊東を発祥の地として全国に広がった伊東氏は、平安時代末期に、ここに住み着いた藤原南家工藤氏に始まるといわれます。曽我兄弟の祖父伊東祐親の二代前、伊東家次が初代と考えられています。伊東家は、以後鎌倉時代を… 続きを読む »伊豆 伊東館

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