概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
王城山城(おうじょうやまじょう)は、神奈川県中郡大磯町大磯に所在する標高83.5メートル(比高約68メートル)の独立丘陵・王城山山頂部に築かれた中世山城(砦)跡である。別名を「天王山城」とも称する。高麗山から南東に派生する半独立山塊に占地し、直下を東海道が横断する水陸交通の要衝を押さえる。城域は東西約200メートル、南北約150メートルに及び、山頂の主郭(現在は配水池・水道施設および明治天皇観漁記念碑が設置)を中心に階段状の曲輪群が連郭式に展開する。主郭北西から北側にかけて山上を分断する明瞭な堀切や帯曲輪・腰曲輪、切岸、土塁状痕跡が良好に残存する。山頂からは相模湾や伊豆・三浦半島方面を一望でき、街道監視と沿岸防備を担う要害であった。
歴史的役割
築城年代や築城者は確証を欠くが、室町時代から戦国期にかけて相模に進出した小田原北条氏が東海道の監視および相模湾の海上哨戒を目的として取り立てた前哨要害・繋ぎの城と推測される。背後の高麗山城(高麗寺山城)や小磯城(大磯城山)などと緊密に連携し、相模平野と西湘地域を結ぶ防衛ネットワークを形成した。特に東海道の難所であった化粧坂の直上に位置し、三浦半島・房総半島方面を窺う軍事的監視拠点としても機能したと考えられる。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に伴い、後北条氏の滅亡とともにその軍事的役割を終えて廃城となったとみられる。近世以降は大磯宿の宿場町景観を背後から見守る丘陵となった。
見どころ
主郭(山頂配水池周辺)北西から二の郭にかけて尾根を鋭く遮断する深さ約2〜3メートルの明瞭な堀切遺構、主郭を取り巻く帯曲輪および北斜面に段状に連なる腰曲輪群、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡および急峻な切岸斜面、山頂に建つ明治11年の明治天皇巡幸を記念した「明治天皇観漁記念碑」、山腹に所在する横穴墓群(釜口古墳)、標高83.5mの山頂から相模湾・大磯海岸・江の島・伊豆半島・富士山方面を見渡す東海道監視拠点ならではの大パノラマ絶景
ご当地グルメ
城犬のおいど 攻城記録 
王城山城入口
王城山城の入口手間に普通車1台分の駐車可能なスペースと、ユーターンができるスペースがあります。大磯高区配水池があるため、整備・点検の来られる方がいますので、路肩に寄せて駐車を行いましょう。

大磯高区配水池

二の郭

主郭


明治天皇観漁記念碑

帯郭








土塁
帯郭から奥に行くと手つかずの土塁や、空堀を見ることができる。が、藪込み装備と、御塩が必要。

王城山城は、高麗山城に隣接した山城で、詳細は不明。
主郭には「明治天皇観漁記念碑」があり、二の郭には大磯高区配水池があり遺構は当時と変わっているのではないかとも推測してしまいます。
また、帯郭方面でちょっと嫌な気配を感じ、急いで逃げ帰って来たのですが、 調べてみると心霊スポットであることがわかり、更にゾッとしました。

