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100名城・続100名城 -
別称 公田砦、公田城山、公田城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 54.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者三浦義明
築城年平安時代末期
廃城年戦国時代
主な城主三浦氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:54.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

公田城(くでんじょう)は、神奈川県横浜市栄区公田町(旧相模国鎌倉郡公田郷)のいたち川上流域南岸にそびえる標高約80メートル(比高約55メートル)の険峻な城山尾根上に所在した中世山城(砦)跡である。尾根頂部の平坦面を中心に本丸および複数の腰曲輪が連郭式に配され、背後の尾根筋を遮断する堀切や空堀、土塁、急峻な切岸加工段が良好に残存する。鎌倉の北東側の境界山稜に占地し、武蔵国方面から鎌倉へ抜ける古道やいたち川沿いの交通路を監視する軍事要害であった。後世の山林化や一部住宅造成があるものの、城山山頂付近には土塁や堀切の明瞭な土木遺構をとどめており、栄区内でも屈指の険阻な中世山城の縄張構造を残す。

⚔️ 歴史的役割

平安時代末期に三浦半島を本拠とした有力武士団・三浦一族の当主である三浦大介義明が、鎌倉の防衛および所領警備の前哨拠点として砦を構えたことに始まると伝わる。治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に際しては、衣笠城合戦に至る過程で重要な軍事中継点となった。鎌倉時代から室町時代を経て、戦国期には小田原北条氏の支配下に入り、玉縄城を守る東方外郭支城・境目砦として再整備された。金沢八景・六浦湊や武蔵国境(武相国境)を往来する敵勢力に対する早期警戒および狼煙連絡網の一翼を担ったと考えられている。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡したことに伴い廃城となった。

👀 見どころ

城山尾根頂部を分断する深さ約2〜3mの明瞭な堀切・空堀遺構、主郭平坦面の縁辺部に残存する土塁の高まり、いたち川流域に向かって落ち込む中世山城ならではの険峻な切岸急斜面、山麓に鎮座する古代・中世以来の信仰を伝える荒脛巾神社(アラハバキ社)や神明社周辺の歴史景観、標高80mの山頂部からいたち川流域・大船・円海山・富士山方面を見渡す国境・街道監視拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・大根)料理、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(13城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR根岸線本郷台駅またはJR東海道線大船駅から神奈川中央交通バス(本60・船14系統等)で「公田」下車徒歩約10分、またはJR根岸線港南台駅から徒歩約25分(アラハバキ社・公田町城山丘陵一帯、標高約80m、比高約55m)

車でのアクセス

横浜横須賀道路 日野ICから県道21号経由で南西へ車で約10分、または横浜環状南線 栄ICから車で約8分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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