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下野国 中久喜城 [ NAKAKUKI CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナナカクキジョウ
別称亀城、栃井城、中岫城、岩壺城、小山氏城
スタンプ設置場所
曲輪配置梯郭式
城郭種類平山城
築城者小山政光
築城年1155年
廃城年
主な城主小山氏、結城氏
指定史跡国指定
標高37.9 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状小山氏城跡(中久喜城跡)
駐車場城址前空き地
最寄り駅JR 小田林駅


概要・現地案内板

中久喜城は、小山市大字中久喜に所在する中世の城郭で、西仁連川と谷戸田(低湿地)に挟まれた台地の先端部に位置します。
城跡の範囲は、東西約400m、南北約450mで、城は、JR水戸線によって分断されていますが、北側の住宅部分を除いて、遺構は良く残っています。
城はこれらの遺構から、三つの曲輪によって構成されていたと考えられます。
曲輪I(本丸)は、周囲を二重の土塁と空堀で囲み、南側には桝形虎口(出入口)が設けられています。
曲輪内には「城ノ内」の地名が残り、本丸にあたると思われます。
また、「西城」の地名のある曲輪Ⅱは、南西角から北に向かって土塁が見られます。
曲輪中央には、南北に延びる道に沿って屋敷が並んでいたことが想定されています。
曲輪Ⅲには、土塁などは認められませんが、「万年寺」の地名が残されています。
戦国時代に当地より移転したと伝えられる小山氏の菩提寺万年寺(本郷町)との関りが推測されます。
この中久喜城の築城年代は不明です。
14世紀後半に関東地方を揺るがした11代当主小山義政の乱のさい、義政が鎌倉府と戦うための根拠地とした城の一つである「岩壺城」ではないかといわれています。
その後、天正18(1590)年に、小山高朝の子で結城政勝の養子となった結城晴朝が隠居して「中久喜栃とち井い城」に移ったことが「結城御代記」(1852年成立)にみえ、この城は「栃井城」とも呼ばれていたようです。
中久喜城は、祇園城と結城城の中間に位置します。
初代当主小山政光を共通の祖とする小山・結城の両氏を結びつける重要な役割をになった城であったことがうかがえます。
しかし、慶長6(1601)年に、結城氏が越前に転封になると、廃城となりました。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


空堀


城址碑と看板


曲輪Ⅰ


土塁


石祠


JR水戸線


曲輪Ⅲ


主郭の中を突き抜ける線路


二重の土塁と空堀


枡形虎口


城の内


2025/4最終訪問


城郭周辺地図

栃木県小山市大字中久喜

城址前空き地までのGoogleMAP


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