城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | コモロジョウ |
| 別称 | 酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城 |
| スタンプ設置場所 | 懐古園事務所 09:00-17:00(水曜定休) |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 武田信玄 |
| 築城年 | 1554年 |
| 廃城年 | 不明 |
| 主な城主 | 武田氏、仙石氏、牧野氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 663.4 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | あり |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 史跡小諸城跡 |
| 駐車場 | 小諸城址懐古園駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 小諸駅 |

概要・現地案内板
小諸城は、戦国時代に武田信玄が真田幸隆に命じて築城されたと言われています。
その後、仙石秀久によって近世城郭へと改修されました。
秀久は豊臣秀吉の家臣で、小諸城の城下町を整備し、現在にも続く小諸の発展の基礎を築きました。
江戸時代には、小諸藩の居城として重要な役割を果たしましたが、明治時代の廃城令によって建物は取り壊されました。
しかし、石垣や堀は当時の姿を今に伝えています。
現在は「懐古園」として整備され、市民の憩いの場となっています。
城犬のおいど 攻城記録
小諸城址大手門公園

大手門
小諸城の正門(四之門)。慶長17年(1612)、藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築。二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化していない事や、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館形式をとっている事など多くの特徴があります。

この門を建てる際に、大工は江戸から呼び、瓦は三河(現在の愛知)から運んだとされ、当時はまだ瓦葺の屋根が珍しかったため「瓦門」とも呼ばれました。明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室として、また、料亭として利用されてきましたが、平成20年、江戸時代の姿に復原されました。この実戦的で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、青森県の弘前城とともに大手門の双壁といわれています。
※現地看板より


三の門
小諸城は慶長元和年間(関ヶ原役前後)にわたって時の城主仙石氏が築城しました。この三の門も大手門と同様に一連の造営の中で創建されたものです。しかし寛保2年(1742)小諸御城下を襲った大洪水により三の門は流失し約20年後の明和年代に再建されて現在に至っています。

寄棟造・桟瓦葺の櫓門で1階は桁行3間(1間は約1.8メートル)北脇に潜戸を構え、扉金具、八双金具等が施してあります。2階は両側に袖塀を設け、矢狭間、鉄砲狭間が城郭の面影を残しています。桁行5間、梁間2間で内部は住宅風の一室になっています。大手門とともに小諸城の貴重な建造物として国の重要文化財指定を受けています。
※現地看板より


二の門跡



二の丸跡

北丸跡

中仕切門跡


南の丸跡

黒門橋

お駕籠台跡

懐古神社

本丸跡


富士見展望台

馬場


天守台

荒神井戸
寛保の大洪水の後に掘られた、城内唯一の井戸


2024/1最終訪問
城郭周辺地図
長野県小諸市丁
[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 長野県の城郭一覧 ]




