城郭DATA -CASTLE DATA-
概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | - | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
大土居水城は、福岡県春日市昇町七丁目の牛頸川支流沿いに位置する飛鳥時代の防衛土塁遺構である。大宰府防衛のために春日市から大野城市にかけての谷部に築かれた一連の小水城群(大土居、天神山、上白水、下白水など)の一つで、国の特別史跡「水城跡」の追加指定地(附指定)となっている。八幡宮が鎮座する丘陵東麓の谷を塞ぐ形で築かれ、基底部幅約40メートル以上、高さ約8メートル以上、現存延長約50〜75メートルの巨大な版築土塁が良好に残る。発掘調査では突き固められた土層とともに、土塁背後から前方外濠へ水を導くための木槽(木樋構造)が小水城で初めて確認され、古代の優れた土木水利技術を実証した。現在は土塁上に石碑と解説板が整備され緑地として保存されている。
歴史的役割
白村江の戦い(663年)の敗戦を受け、唐・新羅の侵攻に備えたヤマト政権(中大兄皇子/天智天皇)によって天智天皇3年(664年)に築造された。御笠川流域を扼する水城大堤(本水城)に対し、西側の丘陵地帯に深く刻まれた谷筋を抜けて大宰府背後へ進軍する敵部隊の侵入路を物理的に遮断する目的で、主要な谷ごとに小水城が配備された。版築技術や木槽による通水設備など朝鮮半島伝来の先進土木技術が集約されており、北側の外濠と一体で強固な防衛線を構成した。奈良時代以降、国際的軍事緊張の緩和に伴って防衛施設としての実役目を終えたが、大宰府の西を守る重要な境界土堤として後世まで地形が留め置かれ、古代防衛体制の全貌を解明する上で欠かせない史跡となっている。
見どころ
版築工法により強固に築かれた大土居土塁の現存高まり、発掘調査により木槽(導水木樋)が検出された古代水利構造跡、土塁北側に配されていた外濠(空堀)の痕跡地形、土塁上に立つ国指定特別史跡標柱と解説案内板、谷を塞ぐ古代防壁の規模感を体感できる住宅街の緑地景観
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概要・現地案内板
水城跡は記録によると、天智天皇3年(西暦664年)に築かれた防衛施設で、土塁と土塁の外側に平行する濠からなります。
太宰府市と大野城市の境にある水城跡(大水城)は福岡平野が最も狭くなる位置に造られ、その大きさは土塁断面の幅約80m、高さ約10m、長さは1.2kmにも及びます。
水城跡(大水城)西側の大野城市から春日市にかけての小丘陵間の谷あいには、小規模な水城跡が築かれています。
春日市内には大土居水城跡と天神山水城跡があり、これまでの発掘調査で水城跡の土塁は何層にも土を積み重ね、高度な技術で築かれていることがわかりました。
大土居水城跡は土塁断面の幅約40m、高さ7m以上、東西方向の長さは約110mです。
土塁の基底部にはスギやクスノキの板を組み合わせた木樋(木製の水道管)があり、現在、県道の下に現地保存されています。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
土塁解説広場

大土居水城跡碑

土塁の構造
大土居水城跡の整備に先立ち、土塁の構造を確認するため、土塁の断面を令和2年に発掘調査しました。その結果、土塁築造の様々な土木技術が明らかとなりました。この画像はその時の調査によるもので、実際の大きさの1/20で表しています。
※現地解説板より


園路(自然丘陵上)






土塁の積み土は南側(大宰府側)に低くなるように傾斜をもって築かれています。これは土塁の構造を強化するとともに、土塁に染み込んだ雨水によって、傾斜が急な北側の積み土が崩れないようにしたものと考えられます。
※現地解説版より

2026/1最終訪問
