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近江国 小谷城 [Odani Castle]

概要

標高約495mの小谷山全体に広がる大規模な山城。戦国時代に北近江を支配した浅井氏の本拠地であり、織田信長と浅井氏の激戦の舞台となった。主郭部である本丸を中心に、大堀切を挟んで大嶽城、山王丸、京極丸、清水谷など多くの曲輪群が配置され、堅固な防御を誇った。浅井長政とお市の方ゆかりの地としても知られる。・国の史跡に指定されている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナオダニジョウ
別名小谷山城
所在地滋賀県長浜市須賀谷町
100名城スタンプ第49番 小谷城戦国歴史資料館 (9:00~17:00、入館16:30まで。
月曜休館、祝日の場合は翌日休館)
城郭構造連郭式・階郭式山城
天守構造なし
築城者浅井亮政
主な城主浅井氏
築城年1516年
廃城年1573年
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財国指定
遺構曲輪・石垣・土塁・空堀(堀切・竪堀・横堀)・虎口・井戸・礎石
現状国指定史跡・山城跡・自然公園
駐車場あり・小谷城戦国歴史資料館駐車場 (無料)・小谷城址駐車場 (無料)
最寄り駅JR北陸本線 河毛駅からバス「小谷城趾口」下車、徒歩で登城口まで。


城犬のおいど 攻城記録


小谷城戦国歴史資料館


磯野屋敷跡


金吾丸跡


番所跡


小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自家用車なら通行可)は、この番所跡まで通じている。
※現地説明板より

御茶屋跡


小谷城主郭部先端の曲輪である。中央にあるL型の土塁が特徴であるが、その内部には小規模な御殿があったと思われる。西側の隅には庭が存在したと考えられる。
※現地説明板より

馬洗池


馬洗池は涌水ではないが往時は年中水が絶えなかったという。西隣に土塁で囲った馬屋があり北の柳の馬場に通じており馬関係の一画である。
※現地看板より

御馬屋跡


高い土塁が三方を囲んだ特徴的な構造を持つ曲輪である。名称通り馬小屋があったかは意見が分かれるところである。北東にある馬洗池は、文字通り馬を洗った池と解するよりは、桜馬場下の石垣に取り付くことを防ぐための水堀と考えたほうがよい。中央に井戸があったことが確認されている。
※現地説明板より

首据石


黒金門跡の手前にあり、天文2年(1533)1月、初代亮政は六角氏の合戦の際、家臣の今井秀信が敵方に内通していたことを知り神照寺に誘殺し首をここにさらしたと伝えられる。
※現地看板より

赤尾屋敷


浅井氏の重臣赤尾氏の屋敷跡と伝えられている。家臣の屋敷では最も本丸に近くまた浅井長政最期の地となったことから、赤尾氏の浅井家における重臣としての地位がうかがわれる。
※現地看板より

黒金御門跡


大広間に設けられた重要な門である。「黒金門」と呼ばれているところから、鉄を打ち付けた扉であったと考えられる。
※現地看板より

桜馬場跡


大広間黒金門の南に存在した曲輪。南北に長い曲輪で、東西2段で構成される。西側の細い曲輪は特徴的で、その南西端は信長の本陣があった虎御前山を見張る最適な地であった。また、馬洗池周辺は石垣が突出しており横矢懸けの構造を持っていた。

東側の登城道からは、赤尾屋敷方面に向かう道が分岐し、その手前には今井秀信の首を据えたという首据石が存在する。
※現地説明板より

浅井氏及家臣供養塔


大広間跡


本丸は、古絵図では鐘丸とも天守とも記される。南北40m、東西25mを測り、南北2段の構造で、北側の上段に櫓を附属する中心建物が建っていたと考えられる。東西の石垣下には土塁が築かれ、敵が側面を回れない構造を持っていた。北側の大堀切で、小谷城主要部は二つに分断される。

南側には石垣が積まれ、その下の大広間は南北85m、東西35mを測り、山上の小谷城内で最大の曲輪となっている。大広間には御殿が建ち、井戸や土蔵が存在したことが分かっている。
※現地説明板より

別名「千畳敷」と呼ばれ長さ約85m・幅約35mで前面に高さ約4mの石垣が積まれている大広間跡は、建物跡が検出されているほか、石組みの井戸跡や蔵跡が確認されている。
※現地看板より

本丸跡


鐘の丸という石垣をめぐらした約12米の高所に約30米に25米の広さをもつ落城寸前まで城主長政が居住していた処である。彦根城西ノ丸の三重櫓は元小谷城天守と伝える。
※現地看板より

大堀切跡


本丸跡の北にある大規模な堀跡で尾根を大きく削ってある。番所跡から本丸跡までとその上を区切るためのものである。
※現地看板より

中丸跡


南北3段から成り、最上段に刀洗池がある。この池の緑を通って、上段の京極丸につながる。3段目と2段目の間や、1段目の南側正面には小規模な石垣が存在し、この曲輪も基本的には石垣で固められていたと見られる。

虎口を中央に設置しているのは、中丸より上部の郭だけで、ここより下の郭は、敵がまっすぐ突き抜けられないよう側面から入る構造になっている。本丸との間に大土木工事によって造られた大堀切がある。清水谷側には御局屋敷と通称される腰曲輪が附属する。
※現地説明板より

刀洗池


京極丸跡


浅井氏が守護京極氏の居所として用意した曲輪といわれる。南北4段の構造を持ち、清水谷側(西側)に枡形虎口がある大きな曲輪を附属する。この虎口は清水谷から登る「水ノ手」につながるが、小谷落城の際に秀吉が攻め上がった道である。須賀谷側(東側)に造られた高さ3mほどの土塁は小谷城最大の規模を誇る。
※現地説明板より

小丸跡


山王丸と京極丸の間にあり、東西2段の構造を持つ。東側が高いが、小谷落城の際に久政が籠り自刃した場所はここであろう。
※現地説明板より

大石垣


山王丸跡


標高約400mに位置する小谷城の詰の丸。南面に馬出を配し、鎌刃城と同形態の石垣で固められた虎口を二重に構える。南側の虎口は、破城の痕跡が現在も明瞭に残り、石垣が散乱して登山の障害となっている。

中央の曲輪には山王社を祀っていた。南側正面石垣の石は、小谷城でも最大の大きさを誇り、この図の裏に当たる東斜面には、今も大石垣が残っている。
※現地説明板より

三田村屋敷跡


浅井氏の重臣三田村佐渡守の屋敷跡。谷道沿いの西側に位置する。谷側に石垣を設けている。
※現地看板より

六坊遺址


二代城主久政の文書に「當城搦手」と書かれている。久政は軍務や政務を司っていた六つの寺院が江北各所に散らばっていて不便であったため、ここに集めたと言われている。
※現地看板より

浅井久政の時代、領国内にあった6つの有力寺院の出張所が置かれたところ。南北に削平地が5、6段連なる。西側には腰郭が確認でき、図にはないが東側には竪堀数本が掘られている。南側の土段には石垣が見られる。
※現地説明板より

丸小岩


御屋敷跡


浅井亮政・久政・長政やお市の方とその子どもたちが暮らした所と考えられる。初代城主亮政が江北の守護京極氏を招いて饗応した時の記録には清水谷にあった館の様子が描かれている。
※現地看板より

2017/8最終訪問


城郭周辺地図

滋賀県長浜市須賀谷町

小谷城戦国歴史資料館駐車場 (無料)・小谷城址駐車場 (無料)


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「近江国 小谷城 [Odani Castle]」への1件のフィードバック

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