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100名城・続100名城 -
別称 和久堂砦、杉塚城、和久堂城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 43m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者筑紫氏
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、上野氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:43m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

和久堂城は、福岡県筑紫野市杉塚三丁目の鷺田川・高尾川西岸に面した標高約40メートル(比高約20メートル)の低位段丘丘陵上に築かれた戦国時代の平山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。大宰府南方の低地平野部に張り出した舌状台地の先端部に占地し、主郭を中心に段状の曲輪が連郭状に配されていた。背後の台地基部からの敵侵入を遮断する堀切や空堀、曲輪縁辺を取り巻く切岸加工および土塁痕跡が残存する。周辺は住宅団地や農地造成により地形改変が進んでいるものの、古代官道(水城西門ルート)や杉塚廃寺跡に近接し、高尾川・御笠川水系の水運および大宰府と筑紫平野・肥前方面を結ぶ陸路交通を扼する軍事監視要衝に位置していた。

⚔️ 歴史的役割

筑前・肥前国境に勢力を誇った有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛網を担う支城・前哨砦として機能した。城主として筑紫広門の有力家臣である上野伊賀守の名が伝わる。天正13年(1585年)9月、立花道雪の没後に筑紫広門が大友氏の拠点である宝満山城を急襲して一時奪取した際、島田武蔵が和久堂城から出撃して後詰め部隊として陽動作戦を展開した記録が残る。続く天正14年(1586年)の島津軍による大攻勢(岩屋城・宝満城の戦い)では、筑紫氏の勝尾城や鷹取山城が激しい攻撃を受けて降伏する過程で当城も戦火に巻き込まれた。その後、豊臣秀吉による九州平定に伴い大友・筑紫・立花各勢力の所領再編が行われ、軍事的前哨砦としての役割を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

段丘丘陵先端部に造成された主郭平坦面および周囲の切岸状段差、台地続きを遮断する堀切および空堀の痕跡、曲輪境界部に認められる土塁状の高まり、古代の西門ルート官道や市指定史跡・杉塚廃寺跡に隣接する歴史的立地環境、丘陵微高地から鷺田川流域・二日市平野および大宰府・水城・宝満山方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(41城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線都府楼南駅から徒歩約15分、または西鉄天神大牟田線西鉄二日市駅から西鉄バス(下大利・原田方面行き)で「杉塚」下車徒歩約5分(JR都府楼南駅から約1.2km)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号(福岡筑紫野線・通称5号線)経由で北へ車で約10分、または太宰府ICから南西へ車で約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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