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100名城・続100名城 -
別称 大隈城、益富山城、一夜城、城山、大隈城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 187.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者大内盛見
築城年永享年間(1429〜1441年)
廃城年元和3年(1617年)
主な城主大内氏、杉氏、秋月氏、早川氏、後藤氏、母里氏
指定文化財都道府県指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造代用櫓 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:大手門、先:嘉麻市上西郷・善照寺山門/元:搦手門、先:嘉麻市大隈町・麟翁寺山門)
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:187.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

益富城(ますとみじょう)は、福岡県嘉麻市中益(旧嘉穂町大隈)の標高約188メートル(比高約120メートル)の城山山頂一帯に広がる筑前屈指の大規模山城跡である。令和5年に「大隈城跡(益富城跡)」として福岡県指定史跡に指定された。東西約200mに及ぶ山頂主要部には本丸・二の丸・水曲輪・馬屋曲輪などが梯郭・連郭複合状に展開し、北・東・南の各尾根には多数の出城(郭群)が配されている。天正期の秋月氏による大規模な畝状竪堀群や横堀に加え、関ヶ原後に黒田二十四騎の後藤又兵衛基次が築いた近世初頭の野面積み石垣や枡形虎口、破却遺構が極めて良好に残存する。山麓寺院には大手門・搦手門が移築現存する。長崎街道と日田街道の結節点を抑える戦略拠点であった。

⚔️ 歴史的役割

室町時代前半に周防大内氏の大内盛見が築城したと伝わり、戦国期には大友氏・毛利氏・秋月氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定に際しては、秋月種実が撤退した後の本城に秀吉が白布や戸板で一夜にして城郭を現成させ戦意を喪失させたという「益富の一夜城伝説」が残る。慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前に入国すると、豊前小倉の細川氏に対する防衛最前線「筑前六端城」の筆頭城郭に位置づけられ、重臣・後藤基次(後藤又兵衛)が1万6千石で入城して石垣や虎口を備えた近世城郭へと大改修した。基次の出奔後は母里太兵衛友信が城主を務め、元和の一国一城令により破却・廃城となった。

👀 見どころ

本丸および馬屋曲輪・水曲輪に残る大迫力の野面積み石垣群と破却痕跡、枡形虎口の明瞭な土木・石積構造、斜面一面に刻まれた長大な畝状竪堀群および横堀、本丸に再現された木造展望櫓、山麓の善照寺に移築現存する大手門および麟翁寺の搦手門(山門)、母里太兵衛友信の墓所(麟翁寺)、山頂本丸から嘉穂盆地・遠賀川流域・英彦山および古処山系を一望する360度大パノラマ絶景

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(21城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約18分、またはJR新飯塚駅・飯塚バスターミナルから西鉄バス(西鉄大隈行き)で終点「西鉄大隈」下車徒歩約20分、益富城自然公園登山道を経て本丸まで徒歩約15分

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道322号および国道211号経由で東へ車で約15分、または八木山バイパス 穂波東ICから車で約20分

駐車場

有(嘉穂益富城自然公園駐車場・出城駐車場・水曲輪駐車場、無料約50台)

📍 周辺地図

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