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100名城・続100名城 -
別称 蔵田城、倉田堀内城、倉田堀ノ内城、実方屋敷、倉田城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 40.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者實方氏
築城年鎌倉時代
廃城年戦国時代
主な城主實方氏、倉田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:40.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

倉田城(くらたじょう)は、神奈川県横浜市戸塚区上倉田町(旧相模国鎌倉郡倉田郷)の柏尾川東岸沖積低地を見下ろす標高約45メートル(比高約25メートル)の舌状丘陵上に所在したとされる中世武士居館(平山城)跡である。「蔵田城」「倉田堀内城」とも称される。柏尾川と舞岡方面へ延びる谷戸地形に挟まれた微高地に占地し、背後の丘陵斜面を天然の要害としつつ前面の水田低地や交通路を扼していた。付近には「堀ノ内」の地名伝承や平安中期の歌人・藤原実方ゆかりの「実方塚」、実方一族の菩提寺である古刹・蔵田寺が所在する。昭和以降の住宅開発や道路整備により堀や土塁などの明瞭な土木遺構は失われたが、丘陵縁辺部の切岸状急斜面や谷戸の奥まった地形環境に鎌倉武士・在地領主の館跡の面影をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代から室町・戦国期にかけて、当地一帯に土着・繁衍した在地領主・實方氏(実方氏)の居館と伝わる。実方一族は平安時代の貴族・藤原実方の従者や末裔を称し、代々「実方塚」を守る在地土豪として倉田郷を支配したとされる。戸塚・柏尾川流域は鎌倉街道中の道が南北に縦貫する交通の要衝であり、倉田城は街道筋の監視や水運の防衛、鎌倉北方の前衛拠点のひとつとして機能した。戦国時代には小田原北条氏の支配下に入り、玉縄城(鎌倉市・栄区境界)を中核とする防衛ネットワークや小机衆・玉縄衆の支城網と連携したと考えられる。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡した前後に軍事・支配拠点としての館は役割を終え、実方一族は名主・豪農等として土着し近世以降へと家系を継承した。

👀 見どころ

実方一族の居館推定地である上倉田町丘陵および柏尾川低地を見下ろす要害地形、館跡背後や側面に残存する中世城館ならではの急峻な切岸状傾斜地、平安時代の歌人・藤原実方とその従者伝承を今に伝える実方塚(実方塚記念碑)の歴史景観、実方氏の菩提所として中世以来の法灯を継ぐ高野山真言宗蔵田寺の境内環境、標高約45mの台地縁辺から戸塚駅周辺市街地や柏尾川流域を一望する鎌倉街道沿線ならではの展望

🍲 ご当地グルメ

戸塚宿そば、横浜家系ラーメン、サンマーメン、戸塚名物十勝甘納豆・どら焼き、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道線・横須賀線・湘南新宿ライン・横浜市営地下鉄ブルーライン戸塚駅東口から徒歩約15分、または戸塚駅東口から江ノ電バス(明治学院大学南門・下倉田花立方面行き等)で約5分「上倉田」下車徒歩約5分(蔵田寺・実方塚・子母口周辺の丘陵南麓、標高約45m、比高約25m)

車でのアクセス

横浜新道 戸塚終点・戸塚ICから国道1号および県道203号経由で南へ車で約8分、または横浜環状南線 栄ICから北西へ約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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