概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小菅ヶ谷城(こすがやじょう)は、神奈川県横浜市栄区本郷台から小菅ケ谷にかけてのいたち川北岸に面した舌状台地端部(標高約25メートル、比高約12メートル)に所在したとされる中世城館跡である。「小菅ヶ谷殿館」「城山」とも称される。鎌倉街道中の道が通り、いたち川の水運を扼する交通の要衝に占地していた。台地上に主郭を構え、南側を流れるいたち川を天然の水堀、後背丘陵を防御背後地とした居館形態であったと推定される。現在のJR本郷台駅北側周辺の開発や宅地・公的施設整備により土塁や空堀などの明確な地上土木遺構は失われているが、いたち川に架かる「城山橋」の橋名や小字「城山」の地名、河川に面した比高差を伴う切岸状地形に中世城館の痕跡をとどめている。
歴史的役割
鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の娘で「小菅ヶ谷殿」と呼ばれた女性の居館であったと伝えられる。小菅ヶ谷殿は嘉禎元年(1235年)に近隣の上郷町に所在する名刹・證菩提寺の新阿弥陀堂を建立するなど、北条氏宗家(得宗家)による地域支配と信仰に深く関わった人物として知られる。鎌倉防衛の北東側外郭にあたる要衝に位置し、鎌倉期から南北朝・室町期を通じて北条氏・関東管領上杉氏ゆかりの在地拠点として機能した。戦国時代には後北条氏の勢力下に入り、玉縄城を中心とする防衛ラインの後方・支城連絡拠点の一郭を担ったと考えられる。天正18年(1590年)の小田原征伐による後北条氏滅亡前後に館としての役割を終えたと推測される。
見どころ
中世城館が存在した名残を今に伝えるいたち川の「城山橋」周辺景観、居館が置かれた河川沿いの微高地と背後台地が織りなす中世武士居館の占地環境、いたち川低地に向かって落ち込む切岸状傾斜地、小菅ヶ谷殿が新阿弥陀堂を創建したと伝わる源頼朝ゆかりの古刹・證菩提寺や阿弥陀仏信仰を伝える大誓寺など周辺の歴史文化資源、いたち川水辺散策路から本郷台駅周辺の街並みや台地縁辺を望む鎌倉街道沿線ならではの景観
ご当地グルメ
大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・キャベツ)料理、ハマぽーく豚肉料理