コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 小菅ヶ谷殿館、城山、小菅ヶ谷城跡、小菅ヶ谷館
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 53.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者北条泰時
築城年嘉禎元年(1235年)頃
廃城年戦国時代
主な城主北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:53.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

小菅ヶ谷城(こすがやじょう)は、神奈川県横浜市栄区本郷台から小菅ケ谷にかけてのいたち川北岸に面した舌状台地端部(標高約25メートル、比高約12メートル)に所在したとされる中世城館跡である。「小菅ヶ谷殿館」「城山」とも称される。鎌倉街道中の道が通り、いたち川の水運を扼する交通の要衝に占地していた。台地上に主郭を構え、南側を流れるいたち川を天然の水堀、後背丘陵を防御背後地とした居館形態であったと推定される。現在のJR本郷台駅北側周辺の開発や宅地・公的施設整備により土塁や空堀などの明確な地上土木遺構は失われているが、いたち川に架かる「城山橋」の橋名や小字「城山」の地名、河川に面した比高差を伴う切岸状地形に中世城館の痕跡をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の娘で「小菅ヶ谷殿」と呼ばれた女性の居館であったと伝えられる。小菅ヶ谷殿は嘉禎元年(1235年)に近隣の上郷町に所在する名刹・證菩提寺の新阿弥陀堂を建立するなど、北条氏宗家(得宗家)による地域支配と信仰に深く関わった人物として知られる。鎌倉防衛の北東側外郭にあたる要衝に位置し、鎌倉期から南北朝・室町期を通じて北条氏・関東管領上杉氏ゆかりの在地拠点として機能した。戦国時代には後北条氏の勢力下に入り、玉縄城を中心とする防衛ラインの後方・支城連絡拠点の一郭を担ったと考えられる。天正18年(1590年)の小田原征伐による後北条氏滅亡前後に館としての役割を終えたと推測される。

👀 見どころ

中世城館が存在した名残を今に伝えるいたち川の「城山橋」周辺景観、居館が置かれた河川沿いの微高地と背後台地が織りなす中世武士居館の占地環境、いたち川低地に向かって落ち込む切岸状傾斜地、小菅ヶ谷殿が新阿弥陀堂を創建したと伝わる源頼朝ゆかりの古刹・證菩提寺や阿弥陀仏信仰を伝える大誓寺など周辺の歴史文化資源、いたち川水辺散策路から本郷台駅周辺の街並みや台地縁辺を望む鎌倉街道沿線ならではの景観

🍲 ご当地グルメ

大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・キャベツ)料理、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR根岸線本郷台駅西口から徒歩約5分、または本郷台駅からいたち川沿い・城山橋方面へ徒歩約6分(いたち川北岸・小菅ケ谷一丁目から本郷台一丁目周辺、標高約25m、比高約12m)

車でのアクセス

横浜環状南線 栄ICから県道21号および県道23号経由で北西へ車で約5分、または横浜横須賀道路 日野ICから車で約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る