概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 連立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(野原櫓、乾櫓、隠門続櫓、戸無門続櫓等/国指定重要文化財計21棟) | 再建櫓 | あり(小天守、南隅櫓、北隅櫓、太鼓櫓、十間廊下等木造復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(一ノ門、二ノ門、三ノ門、隠門、戸無門、仕切門等/国指定重要文化財) | 再建門 | あり(筒井門、太鼓門、隠門等木造復元) |
| 現存土塀 | あり(三ノ門南櫓筋鉄砲狭間塀等/国指定重要文化財) | 再建土塀 | あり(本丸・二之丸各種土塀木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市丸之内に所在する道後平野中央の独立丘陵・勝山(標高約132メートル、比高約100メートル)山頂部に本丸を構えた近世平山城跡である。「金亀城」「勝山城」とも称され、国の史跡、重要文化財(現存天守等21棟)、日本100名城に選定。賤ヶ岳の七本槍の一人・加藤嘉明が慶長7年に着工し、25年の歳月をかけて完成させた。山頂本丸に三重三階地下一階の本天守を中心に小天守、南隅櫓、北隅櫓を渡櫓で結んだ日本三大連立式天守を構え、姫路城と並ぶ屈指の防衛建築美を誇る。安政元年に再建された現存天守は日本最後の完全な城郭建築による層塔型天守である。山麓から山頂を繋ぐ登り石垣、現存唯一の望楼型二重櫓である野原櫓、隠門や戸無門など技巧的な虎口構造が網羅され、江戸期の重要文化財21棟に加えて昭和から平成にかけて木造復元された小天守や櫓群が完全な要塞景観を蘇らせている。
歴史的役割
関ヶ原合戦で東軍として功を挙げ伊予20万石となった加藤嘉明が、手狭な正木城から交通至便な勝山へ本拠を移すため築城を開始した。「松山」の地名も嘉明が命名したものである。嘉明が会津へ転封された後、蒲生忠知を経て寛永12年(1635年)に徳川家康の甥・松平(久松)定行が15万石で入封。以後明治維新に至るまで親藩久松松平家14代の居城として四国・瀬戸内海制海権の要衝を統治した。寛文年間に五重天守から三重天守へと改修されたが天明4年(1784年)に落雷で焼失。幕末の安政元年(1854年)に再建された現存天守は、江戸時代に落成した日本最後の現存天守として貴重である。明治維新後は公園化され、昭和の放火や空襲で一部建築を焼失したものの、徹底した古写真・絵図検証に基づき木造忠実復元が精力的に進められ、城郭建築の博物館ともいうべき威容を維持している。
見どころ
日本に現存する十二天守の一つであり幕末安政年間に落成した国指定重要文化財「三重三階現存天守」(日本三大連立式天守)、天守本丸を固める国重文「乾櫓」「隠門」「戸無門」「仕切門」および現存唯一の望楼型二重櫓「野原櫓(騎馬櫓)」、全国で彦根城と松山城にのみ現存する極めて貴重な山麓と山頂を繋ぐ「登り石垣」、巧妙な枡形と伏兵構造を誇る「筒井門・隠門」、山麓に整備された発掘遺構と茶室が佇む「二之丸史跡庭園」、勝山山頂(標高132m)から道後温泉・松山市街・瀬戸内海を一望する大パノラマ、山麓と本丸を快適に結ぶ松山城ロープウェイおよび一人乗りリフト、国指定史跡碑・日本100名城碑・加藤嘉明公騎馬像
ご当地グルメ
松山鯛めし・宇和島鯛めし(郷土料理食べ比べ)、三津浜焼き(松山風牛脂・ちくわ入り台付きお好み焼き)、鍋焼きうどん(アルミ鍋甘出汁)、じゃこ天・身光天(宇和海地魚揚げ)、タルト・坊っちゃん団子(道後松山銘菓)