概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
能島城(のしまじょう)は、愛媛県今治市宮窪町宮窪に所在する瀬戸内海・大島と鵜島の間の宮窪瀬戸に浮かぶ周囲約850メートルの無人島「能島」および属島「鯛崎島」全島を要塞化した海賊城(水城)跡である。国の史跡、続日本100名城(178番)に選定。能島村上氏(村上海賊)歴代の惣領の本拠。最大時速10ノット(約18km/h)に及ぶ激流「宮窪瀬戸」の急潮と渦潮を天然の巨大水堀・防壁とし、島頂の本丸を中心に二の丸、三の丸、出丸、矢竹小島、東南の鯛崎島(出城・鯛崎砦)を巧みに配置する。海岸の岩礁部には軍船を係留・防護するための「柱穴(ピット)」群が約400個以上遺存。発掘調査では中国産青磁・白磁、染付、朝鮮陶磁、タイ産陶器、国内産中世陶器、鉄砲玉、銅銭が大量に出土し、武力集団にとどまらず国際交易を統御した水軍領主の海上都市の全貌が実証されている。
歴史的役割
瀬戸内海東西航路の最難所を制圧し、中世瀬戸内海の海上制海権・水先案内・海上警固を独占掌握する軍事・交通・関所の中枢として機能した。特に村上武吉の時代には毛利氏と結び、厳島の戦い(1555年)で毛利軍の海上輸送を支援して陶晴賢軍を壊滅させ、織田信長との石山合戦における第一次木津川口の戦い(1576年)では焙烙玉を駆使して織田方の九鬼水軍を撃破した。天下統一を進める豊臣秀吉が天正16年(1588年)に「海賊停止令(海賊禁止令)」を発令すると、海の自由と自治を重んじる武吉は当初抵抗したが、やむなく屈服。毛利氏に従って能島を退去し、防長移封に伴い屋代島(周防大島)へ転封となり能島城は廃城となった。近世城郭への改変を一切受けておらず、中世水軍城郭の原形態と岩礁ピット群が奇跡的に完存する世界的水中・城郭考古学の至宝である。
見どころ
潮流渦巻く宮窪瀬戸の激流に囲まれた周囲約850mの「能島全島要塞遺構」、岩礁海岸に無数に穿たれ中世水軍船の係留杭や木橋・桟橋の痕跡を示す国指定史跡「岩礁ピット(柱穴群)」、本丸・二の丸・三の丸の平坦面を画する「切岸」および低土塁・石積遺構、能島の南東に連なり木橋で結ばれていたと伝わる出城「鯛崎島(鯛崎砦)」、宮窪港から出航する遊覧船から体感する時速10ノットに達する天然の要害「能島の潮流・渦潮」、出土した膨大な貿易陶磁器・焙烙玉・武具を展示し続日本100名城スタンプが置かれた対岸の「村上海賊ミュージアム」、村上武吉・景親父子の墓所が残る大島島内の「元徳寺」、国指定史跡碑・案内板