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100名城・続100名城 197番
別称 内城、松尾城、高城、新城、志布志要害、志布志城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 35.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置群郭式
築城者救仁郷重基
築城年南北朝時代・建武3年・延元元年(1336年)頃
廃城年元和元年(1615年)
主な城主救仁郷氏、楡井氏、島津氏、肝付氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:35.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

志布志城(しぶしじょう)は、鹿児島県志布志市志布志町帖に所在する志布志湾に注ぐ前川北岸の急峻なシラス台地(標高約65メートル、比高約50メートル)上に築かれた中世南九州屈指の群郭式山城跡である。国の史跡、続日本100名城(197番)に選定。一般に志布志城と総称される城域は、中枢の「内城」をはじめ「松尾城」「高城」「新城」の4つの独立した城郭群から構成される。火砕流堆積物であるシラス特有の浸食地形を極限まで削り込んだ垂直に近い巨大な切岸や、深さ十数メートルにおよぶ深大な空堀(堀切)が迷路のように張り巡らされている。本丸にあたる主郭を中心に矢倉場、中野久尾、大野久尾などの平坦面が複雑に配置され、発掘調査では掘立柱建物跡や鍛冶炉跡、中国・東南アジア産の陶磁器が出土。シラス台地山城の築城土木技術の頂点を示す城郭遺跡である。

⚔️ 歴史的役割

中世を通じて志布志湾の国際貿易港(志布志湊)の支配権を巡る激しい争奪戦の軍事・防衛拠点として機能した。南北朝期に救仁郷重基が築城したと伝わり、楡井氏、島津氏、肝付氏の間で激しい攻防が繰り返された。戦国期には大隅の有力国人・肝付兼続が本城を奪取し、日向・大隅制覇の足がかりとしたが、天正5年(1577年)に島津義久が奪還。島津氏領国下では肝付兼篤が城主を務めた後、新納忠元が城主となり、豊臣秀吉の九州平定に際しても重要な戦略的抑えとなった。文禄4年(1595年)の太閤検地に伴い豊臣五奉行の浅野長政の飛地代官領となった特異な経緯を持ち、慶長4年(1599年)の庄内の乱では島津軍の兵站集結拠点となった。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったが、その後山麓には薩摩藩独特の外城制度に基づく「志布志郷士直轄の麓集落(麓武家屋敷群)」が形成され、近世へ軍事行政機能が受け継がれた。

👀 見どころ

シラス台地を垂直に断ち割り敵の進入を迷路状に遮断する深さ10〜15mにおよぶ圧巻の「大空堀(堀切)」群、天然の急崖を人工的に削り落として防壁化した豪壮な「切岸」および曲輪周囲の「土塁」遺構、内城・松尾城・高城・新城が相互に連携し合う南九州特有の「群郭式(別城一郭)縄張構造」、内城主郭(本丸)や矢倉場跡などの広大な曲輪群、志布志湾の交易港を見下ろす天然の要害立地、山麓に連なり石垣や生垣・武家門が完存する「国選定重要伝統的建造物群保存地区・志布志麓武家屋敷群」、志布志市埋蔵文化財センター(続日本100名城スタンプ設置)、国指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR日南線志布志駅から志布志城内城登山口(内城駐車場)まで徒歩約25〜30分、または志布志駅からタクシーで約5分、登山口から主郭(本丸)まで山道を徒歩約15分(志布志市志布志町帖・内城跡一帯、本丸標高約65m、前川平地比高約50m)

車でのアクセス

東九州自動車道 志布志ICから県道63号経由で南へ車で約5分、または都城志布志道路 有明東ICから車で約15分

駐車場

有(志布志城内城登城口駐車場、無料約20台)

📍 周辺地図

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