概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
知覧城(ちらんじょう)は、鹿児島県南九州市知覧町永里に所在する薩摩半島南部・知覧盆地のシラス台地(標高約140メートル、比高約60メートル)上に築かれた南九州屈指の群郭式山城跡である。国の史跡、続日本100名城(198番)に選定。平安末期に知覧忠道が築いたことに始まると伝わる。シラス(軽石流堆積物)の浸食谷を極限まで人工加工した峻険な要害で、本丸を中心に今城、蔵之城、弓場城、西之城、児城、東出丸、南出丸など十数箇所におよぶ独立した平坦曲輪が群立する典型的な「別城一郭」構造を持つ。各曲輪間は深さ10〜20メートルにも達する垂直の空堀(堀切)で厳重に分断され、細い土橋や木橋のみで連絡された。発掘調査では本丸や蔵之城から掘立柱建物跡、土坑、輸入陶磁器や茶道具が出土。石垣を一切用いずシラスの土工技術(切岸・空堀・土塁)のみで構成された中世南九州城郭の傑作遺構である。
歴史的役割
薩摩半島南部の要衝防備および中世・戦国期における南薩支配の軍事拠点として激動の攻防を重ねた。知覧氏ののち足利尊氏の側近・畠山直顕や伊集院氏が領し、文明3年(1471年)に島津宗家11代・島津忠昌が島津一族の佐多忠繁に知覧城を与えて以来、佐多氏が代々城主を務めた。戦国期には伊集院忠棟による知覧領有の時期を経て再び佐多氏が統治。島津氏の領国防衛網において、南方の坊津や枕崎方面からの侵攻を阻む要塞として機能した。慶長15年(1610年)頃の失火により城郭中枢が全焼し、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。その後、佐多氏は山麓北東約1.5kmの地に居館(御仮屋)を移転し、薩摩藩独特の外城制度に基づく「知覧麓」の武家町を形成。現在も国の重要伝統的建造物群保存地区として残る「知覧武家屋敷群(名勝庭園群)」の母体となり、中世城郭から近世麓集落への歴史的連続性を伝えている。
見どころ
シラス台地を垂直に切り落とした深さ10〜20mにおよぶ圧倒的規模の「大空堀(堀切群)」および垂直の「切岸」、本丸・今城・蔵之城・弓場城・西之城など独立曲輪が連動する南九州特有の「群郭式(別城一郭)縄張」、曲輪周囲に巡らされたシラス盛土による「土塁」および曲輪間を結ぶ痩せた「土橋」遺構、発掘調査で建物跡が検出され中世武士の生活空間を物語る「本丸跡」および「蔵之城跡」、山麓北東に美しく連なる石垣・生垣・武家門・名勝枯山水庭園が完存する「国選定重伝建地区・知覧武家屋敷庭園群」、知覧ミュージアム(旧知覧町ミュージアム知覧)に設置された続日本100名城スタンプ、国指定史跡碑・解説案内板