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安芸 新高山城

100名城・続100名城 173番
別称 新高山要害、新高山城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 197.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・群郭式複合
築城者小早川隆景
築城年天文21年(1552年)
廃城年天正24年・慶長元年(1596年)
主な城主小早川氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:197.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

新高山城(にいたかやまじょう)は、広島県三原市本郷町本郷に所在する沼田川西岸の険峻な山塊(標高約198メートル、比高約170メートル)山頂部に築かれた毛利両川の一角・小早川氏の本拠たる巨大連郭式山城跡である。沼田川を挟んだ対岸の高山城から拠点を移す形で築造され、国の史跡、続日本100名城(173番)に選定。毛利元就の三男で沼田小早川家を継いだ名将・小早川隆景が天文21年に築城した。山頂の本丸・中の丸・西の丸をはじめ、匡真寺跡、釣井の段、鐘の段、ライオン岩郭など尾根筋全域に多数の曲輪が連郭・群郭状に広がる。各曲輪の切岸や虎口には戦国期初頭から織豊期への過渡期を示す野面積み石垣が良好に遺存し、巨大な岩盤を穿った井戸(釣井の段)や礎石建物跡、寺院跡が点在。沼田川の水運と瀬戸内海の制海権を握る水陸交通の要衝に位置し、西国屈指の規模を誇る中世要塞の威容を保つ。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名毛利氏の防長・山陽平定および瀬戸内海支配を支えた軍事・外交・政治の中枢として機能した。小早川隆景は本城を拠点として小早川水軍を組織・統率し、厳島の戦い(1555年)や毛利氏の九州出兵、織田信長との石山合戦(木津川口の戦い)で水軍を率いて大功を立てた。城内には一門や重臣の屋敷のみならず、菩提寺である匡真寺(のちの米山寺)を配するなど宗教・行政の中枢機能を集約。天正年間の豊臣秀吉による中国攻めに際しても強固な防衛拠点として対峙した。秀吉への臣従後は四国征伐や九州征伐の出撃拠点となり、瀬戸内海舟運の重要性が高まるにつれて、隆景は沼田川河口の海城である三原城の拡張・整備を推進。慶長元年(1596年)頃に本拠を三原城へ完全移転したことで廃城となった。戦国最盛期の縄張と石垣遺構が後世の近世改変を受けずそのまま残されている。

👀 見どころ

本丸や二の丸周囲の斜面を強固に固める戦国期の貴重な「野面積み石垣群」および虎口遺構、巨大な花崗岩盤を掘り抜いて築かれ現在も水を湛える六口の井戸跡「釣井の段(大井戸)」、小早川隆景が父母(毛利元就夫妻)や妻の菩提を弔うため建立した広大な寺院跡「匡真寺跡(礎石建物遺構)」、尾根筋を鋭利に遮断する深大な「堀切」群や急峻な「切岸」、巨石が城郭防御の要衝に鎮座する「ライオン岩」遺構、山頂本丸から見渡す沼田川流域・本郷市街・対岸の高山城跡・遠く瀬戸内海方面の雄大な眺望、対岸の小早川氏旧本拠「高山城跡」と対をなす国指定史跡景観、国指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR山陽本線本郷駅から登山口(本郷小学校裏手・新高山城登城口)まで徒歩約10〜15分、登山口から山頂本丸まで登山道を徒歩約35〜45分(三原市本郷町本郷・沼田川西岸の独立山塊一帯、本丸標高約198m、平地比高約170m)

車でのアクセス

山陽自動車道 本郷ICから県道82号および国道2号経由で南へ車で約10分、または河内ICから車で約20分

駐車場

有(本郷生涯学習センター駐車場・新高山城跡登城口駐車場、無料約30台)

📍 周辺地図

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