概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
角牟礼城(つのむれじょう)は、大分県玖珠郡玖珠町大字森に所在する玖珠盆地にそびえるメサ(卓状台地)地形の孤峰・角牟礼山(標高約576メートル、比高約240メートル)頂部に築かれた山城跡である。国の史跡、続日本100名城(192番)に選定。平安末期から鎌倉初期に玖珠通清が築いたと伝わる。四方を峻険な溶岩断崖と急斜面に囲まれた天然の要害で、山頂の主郭(本丸)を中心に二の丸、三の丸、穴蔵遺構、搦手郭などを階段状に配置。天正14年の島津軍の猛攻を退けた中世屈指の不落城郭として名高い。豊臣政権下で入封した毛利高政によって織豊系城郭として大改修が施され、主郭周辺や穴蔵、虎口に豪壮な野面積み高石垣群や角谷瓦を伴う礎石建物が築造された。中世の堅固な土木遺構と近世初頭の本格的石垣技術が融合した山城遺構がほぼ完全な形で残されている。
歴史的役割
豊後・豊前・筑後・肥後を結ぶ交通結節点(日田・耶馬渓街道)を抑える軍事要衝として機能した。大友氏に従う在地領主の森氏(玖珠氏一族)が代々居城とし、天正14年(1586年)の島津氏による豊後侵攻(豊薩合戦)では、城主・森鎮実の留守を預かる宿老・森通高らが島津義弘・新納忠元ら率いる数千の大軍を相手に籠城戦を展開。峻険な地勢を活かして島津軍の猛攻をことごとく撃退し、豊後国内で数少ない落城を免れた城(難攻不落の名城)として名を馳せた。大友氏改易後の文禄3年(1594年)に毛利高政が日田・玖珠2万石で入封し、最新の織豊系石垣山城へと改修。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)に来島通総の遺児・来島康親(森藩久留島氏)が1万4千石で入封したが、山頂の角牟礼城を廃城とし、山麓に森陣屋を構えて幕末まで藩政を執った。
見どころ
山頂主郭(本丸)周囲を取り囲み織豊期改修の威容を誇る圧巻の「野面積み高石垣群」および「本丸虎口石垣」、食糧や武器の地下備蓄施設として特異な構造を持つ石組みの「穴蔵(石室遺構)」、尾根筋を鋭利かつ深大に遮断する大規模な「堀切」群や急峻な「切岸」、島津軍の猛攻を頑強に防ぎ止めた中世天然の要害地形「角牟礼山メサ断崖」、山頂本丸から玖珠盆地・伐株山(名勝メサ)・万年山・遠く九重連山を見渡す360度の大パノラマ、山麓に位置し藩主久留島氏の庭園や茶室が残る「森陣屋跡(三島公園・栖鳳楼)」、玖珠町わらべ宮町館(旧久留島氏庭園内)に設置された続日本100名城スタンプ、国指定史跡碑・案内板