概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
八木城(やぎじょう)は、京都府南丹市八木町八木に所在する大堰川(桂川上流)東岸の標高約344メートル(比高約230メートル)の険峻な独立峰・城山(八木山)頂部に築かれた中世屈指の山城跡である。南丹市指定史跡。南北朝期に丹波守護代・内藤備前守が築城したことに始まると伝わる。戦国期には内藤国貞や、三好長慶の重臣・松永久秀の実弟である内藤宗勝(松永長頼)が本拠とし、丹波三大山城(八上城・黒井城・八木城)の一つに数えられる大要塞へ拡張された。山頂の主郭(本丸)を中心に尾根伝いに二の丸、三の丸、西の丸、南郭群を配し、尾根筋を鋭く断ち切る深大な大堀切、連続竪堀群、主郭縁辺部の土塁、切岸、野面積み石垣(石積み)遺構が極めて良好に遺存する。宗勝の子でキリシタン武将として名高い内藤如安(ジョアン)の居城としても著名である。
歴史的役割
丹波国中部(口丹波)と山城・京都を結ぶ山陰街道および大堰川舟運を直下に扼する軍事・政治の最重要拠点であり、三好政権による丹波支配および織田信長配下の明智光秀による丹波攻略戦の重要舞台となった。弘治年間、三好長慶の命を受けた内藤宗勝(松永長頼)は丹波一国の経略を推進し、黒井城主・荻野直正らと激突。宗勝戦死後はキリスト教に入信した内藤如安(飛騨守忠俊)が継承し、城内に教会堂や十字架を設けたと伝わる。天正7年(1579年)、明智光秀は丹波平定作戦において八上城・黒井城に続いて当城へ進攻。光秀軍の猛攻により落城し、如安らは城を脱出して小西行長らに身を寄せた。城山山頂付近には光秀が勝どきをあげたと伝わる「光秀勝どき岩」が残る。丹波武士団の抗争史とキリシタン文化の息吹を今に伝える第一級の中世山城遺跡である。
見どころ
城山山頂に削平された広大な「本丸跡(主郭)」および尾根筋に連なる「二の丸・三の丸・西の丸」の重厚な連郭式曲輪群、尾根続きからの敵侵入を立体的に遮断する深大な「大堀切」および斜面に無数に刻まれた「竪堀」・「空堀」遺構、主郭虎口や曲輪縁辺部に遺存する武骨な「野面積み石垣(石積み)」および防衛用「土塁」、山腹を急峻に削り落とした威圧的な「切岸」と籠城用「井戸跡」、明智光秀が落城時に勝利を祝ったと伝わる巨石「光秀勝どき岩」、本丸展望広場から見晴らす亀岡盆地・大堰川の清流・八木市街地および遠く丹波・北桑田の山々を望む360度大パノラマ絶景、南丹市指定史跡標柱・詳細な縄張解説案内板