概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
亀山城は、福岡県福津市福間駅東三丁目のJR福間駅東側に位置する亀山神社(妙見社)境内の小丘陵一帯に築かれた室町・戦国時代の平山城(居館城郭)跡である。全国遺跡報告総覧や福岡県遺跡台帳にも登載されている。福間平野の中央部に孤立した標高約15メートルの微高地に占地し、東側に隣接する正蓮寺一帯は城主・河津氏の居館跡と伝えられている。周辺の急速な宅地化や土地区画整理、神社境内化によって明瞭な土塁や空堀などの地表面遺構は失われているが、亀山神社が鎮座する独立丘陵の基底には往時の削平地や切岸状の傾斜段差が微かに残存する。西郷川水系の低湿地や福間津(響灘・玄界灘航路)を望む交通の結節点に位置していた。
歴史的役割
筑前国宗像郡西郷荘を治めた在地武士団・河津氏の拠点城館として築かれたとされる。享禄5年(1532年)には城主・河津新四郎弘業が侵攻する豊後大友氏の軍勢と激戦を展開したと伝わる。河津氏は宗像大宮司家の有力な被官(国衆)として活躍し、近隣の手光冠山城や許斐岳城などと緊密に連携しながら領内西方の防備を担った。玄界灘沿岸の福間津から内陸の宗像・遠賀方面へと至る水陸交通路を扼し、在地支配・物流把握の中核を担ったが、戦国末期の宗像氏の衰微や豊臣秀吉による九州平定の過程で在地支配権が解体され、役目を終えて廃城となったと推測される。
見どころ
亀山神社が鎮座する独立小丘陵の地形と神社境内に残る切岸状の傾斜段差、東側に隣接し河津氏の居館跡伝承を今に伝える古刹・正蓮寺の寺域、福間平野のほぼ中央に位置し西郷川や福間津方面を見渡した微高地城館の立地景観、河津氏の産神・妙見様を奉斎する亀山神社の由緒ある佇まい、手光冠山城や宮地岳城など近隣の中世城館群と連動した西郷荘支配の歴史的痕跡
ご当地グルメ
鯛茶漬け(福津名物)、宮地嶽名物松ヶ枝餅、玄界灘活イカ、宗像天然アナゴ料理、博多ラーメン