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100名城・続100名城 -
別称 福間亀山城、亀山城跡、亀山砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 17.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者河津氏
築城年室町時代
廃城年戦国時代
主な城主河津氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:17.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

亀山城は、福岡県福津市福間駅東三丁目のJR福間駅東側に位置する亀山神社(妙見社)境内の小丘陵一帯に築かれた室町・戦国時代の平山城(居館城郭)跡である。全国遺跡報告総覧や福岡県遺跡台帳にも登載されている。福間平野の中央部に孤立した標高約15メートルの微高地に占地し、東側に隣接する正蓮寺一帯は城主・河津氏の居館跡と伝えられている。周辺の急速な宅地化や土地区画整理、神社境内化によって明瞭な土塁や空堀などの地表面遺構は失われているが、亀山神社が鎮座する独立丘陵の基底には往時の削平地や切岸状の傾斜段差が微かに残存する。西郷川水系の低湿地や福間津(響灘・玄界灘航路)を望む交通の結節点に位置していた。

⚔️ 歴史的役割

筑前国宗像郡西郷荘を治めた在地武士団・河津氏の拠点城館として築かれたとされる。享禄5年(1532年)には城主・河津新四郎弘業が侵攻する豊後大友氏の軍勢と激戦を展開したと伝わる。河津氏は宗像大宮司家の有力な被官(国衆)として活躍し、近隣の手光冠山城や許斐岳城などと緊密に連携しながら領内西方の防備を担った。玄界灘沿岸の福間津から内陸の宗像・遠賀方面へと至る水陸交通路を扼し、在地支配・物流把握の中核を担ったが、戦国末期の宗像氏の衰微や豊臣秀吉による九州平定の過程で在地支配権が解体され、役目を終えて廃城となったと推測される。

👀 見どころ

亀山神社が鎮座する独立小丘陵の地形と神社境内に残る切岸状の傾斜段差、東側に隣接し河津氏の居館跡伝承を今に伝える古刹・正蓮寺の寺域、福間平野のほぼ中央に位置し西郷川や福間津方面を見渡した微高地城館の立地景観、河津氏の産神・妙見様を奉斎する亀山神社の由緒ある佇まい、手光冠山城や宮地岳城など近隣の中世城館群と連動した西郷荘支配の歴史的痕跡

🍲 ご当地グルメ

鯛茶漬け(福津名物)、宮地嶽名物松ヶ枝餅、玄界灘活イカ、宗像天然アナゴ料理、博多ラーメン


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(12城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線福間駅東口から東へ徒歩約10分(約750m、亀山神社一帯)

車でのアクセス

九州自動車道 古賀ICから国道3号バイパスおよび県道経由で北東へ車で約15分、または若宮ICから車で約20分

駐車場

有(亀山神社参拝者駐車場、無料約5台)

📍 周辺地図

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