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100名城・続100名城 -
別称 小呉竹城跡、目尾城、目尾砦、小呉竹砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 28.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年戦国時代
廃城年天正年間
主な城主秋月氏、麻生氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:28.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

小呉竹城(こくれたけじょう)は、福岡県飯塚市目尾(しゃかのお、旧嘉穂郡幸袋町)の遠賀川西岸に面した標高約70~90メートル(比高約40メートル)の丘陵頂部・派生尾根上に築かれた戦国時代の平山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や埋蔵文化財包蔵地台帳・城館一覧に登載されている。遠賀川中流域を見下ろす舌状段丘丘陵の地形を利用し、主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭状に配されている。尾根基部を分断する空堀・堀切や曲輪切岸、土塁状の高まりが残存する。近代の目尾炭坑開発や宅地造成・山林化により一部改変を受けているものの、遠賀川水運および筑豊盆地(飯塚)と鞍手・直方方面を結ぶ南北幹線街道を直下に制圧する要害の地勢を留めている。

⚔️ 歴史的役割

築城年代や築城者の詳細は未詳であるが、遠賀川中流域・嘉穂郡北部を支配下に収めた戦国大名・秋月氏や、北方の鞍手郡・遠賀郡を領有した麻生氏らの境目の前哨拠点・物見砦として機能したと推定される。近隣の幸袋・庄司(葛山城)や勢田(萱城)などと連携し、遠賀川沿いの水陸交通路を往来する軍勢の動向を監視・牽制する哨戒任務を担った。永禄から天正年間に至る大友氏・宗像氏・秋月氏による北九州覇権抗争の中で防衛線の一翼を形成したが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定および秋月種実の日向高鍋移封に伴い、役割を終えて自然廃城となったと考えられる。

👀 見どころ

遠賀川西岸の段丘丘陵頂部に造成された主郭平坦削平地および連郭式の小曲輪群、丘陵尾根筋を断ち切る空堀・堀切痕跡、曲輪縁辺部に残存する切岸加工面と土塁痕跡、遠賀川水系と筑豊炭田近代化遺産(国指定史跡・目尾炭坑跡周辺)に近接する歴史的立地景観、標高約80mの丘陵頂部から遠賀川中流域・鯰田平野・飯塚市街地方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(15城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(福北ゆたか線)鯰田駅から徒歩約25分(約1.8km)、または新飯塚駅から西鉄バス(庄司・直方方面行き)で「目尾」下車、目尾集落西側の丘陵地・山道を経て山頂主郭まで徒歩約10分

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道201号および国道200号経由で北へ車で約12分、または九州自動車道 八幡ICから南へ車で約22分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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