概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小呉竹城(こくれたけじょう)は、福岡県飯塚市目尾(しゃかのお、旧嘉穂郡幸袋町)の遠賀川西岸に面した標高約70~90メートル(比高約40メートル)の丘陵頂部・派生尾根上に築かれた戦国時代の平山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や埋蔵文化財包蔵地台帳・城館一覧に登載されている。遠賀川中流域を見下ろす舌状段丘丘陵の地形を利用し、主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭状に配されている。尾根基部を分断する空堀・堀切や曲輪切岸、土塁状の高まりが残存する。近代の目尾炭坑開発や宅地造成・山林化により一部改変を受けているものの、遠賀川水運および筑豊盆地(飯塚)と鞍手・直方方面を結ぶ南北幹線街道を直下に制圧する要害の地勢を留めている。
歴史的役割
築城年代や築城者の詳細は未詳であるが、遠賀川中流域・嘉穂郡北部を支配下に収めた戦国大名・秋月氏や、北方の鞍手郡・遠賀郡を領有した麻生氏らの境目の前哨拠点・物見砦として機能したと推定される。近隣の幸袋・庄司(葛山城)や勢田(萱城)などと連携し、遠賀川沿いの水陸交通路を往来する軍勢の動向を監視・牽制する哨戒任務を担った。永禄から天正年間に至る大友氏・宗像氏・秋月氏による北九州覇権抗争の中で防衛線の一翼を形成したが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定および秋月種実の日向高鍋移封に伴い、役割を終えて自然廃城となったと考えられる。
見どころ
遠賀川西岸の段丘丘陵頂部に造成された主郭平坦削平地および連郭式の小曲輪群、丘陵尾根筋を断ち切る空堀・堀切痕跡、曲輪縁辺部に残存する切岸加工面と土塁痕跡、遠賀川水系と筑豊炭田近代化遺産(国指定史跡・目尾炭坑跡周辺)に近接する歴史的立地景観、標高約80mの丘陵頂部から遠賀川中流域・鯰田平野・飯塚市街地方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望
ご当地グルメ
飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅