概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
古城戸城(こじょうどじょう)は、福岡県朝倉市隈江の甘木平野北縁・小石原川右岸沿いの微高地に位置した中世・戦国時代の平城(平地武士居館)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳等に登載されている。北東背後にそびえる茶臼山城(標高168メートル)の南西山麓平野部に占地し、小石原川水系が形成した扇状地微高地を利用して築かれた。方形単郭を中心とする区画に堀や土塁を巡らせていたと推測される。現在は隈江集落の宅地や水田・農地となっており明瞭な大土木遺構は失われているが、周囲の地割や敷地段差、境界水路に中世居館の名残を留めている。背後の茶臼山城を詰城・物見砦とし、本城である古処山城へと至る秋月街道の入口平野部を掌握する平時拠点であった。
歴史的役割
戦国大名・秋月氏が古処山城を本拠として朝倉・嘉穂郡一帯を領有する中で、甘木平野北縁の領地支配および街道管理を担った在地武士の居館として機能した。隈江地区は、甘木方面から小石原川沿いに秋月城下へと北上する主要街道の入口にあたる。山麓の古城戸城で日常の政務や交通監視、年貢徴収を行い、有事の際には背後の茶臼山城や小鷹城(弥永)と緊密に連携して敵の進軍を警戒・迎撃する「平時居館と詰城」の典型的な防衛体制を形成していた。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の日向高鍋移封に伴って領主層が解体され、居館としての役目を終えて自然廃城となった。
見どころ
詰城・物見砦である茶臼山城の山麓平野部に位置する中世武士居館特有の平坦地割、主郭周囲を取り巻いていた堀跡の名残をとどめる集落内の用排水路網、宅地境界部に確認できるわずかな切岸状の高低差および土塁痕跡、背後の茶臼山城と山麓居館が一体となった中世領主支配・秋月防衛ネットワークの構造、小石原川沿いの秋月街道入口を押さえる平野要害の歴史的立地環境
ご当地グルメ
朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ、秋月葛料理(葛切り・葛餅)