コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 倉林氏館、倉林屋敷、クラ屋敷、倉林城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 55.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者倉林五郎左衛門
築城年戦国時代
廃城年天正18年(1590年)
主な城主倉林氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:55.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

倉林城(くらばやしじょう)は、神奈川県横浜市旭区金が谷から下川井町にかけて広がる丘陵南西斜面・谷戸微高地(標高約75メートル、比高約20メートル)に所在したとされる中世武士居館(平山城)跡である。文化庁全国遺跡報告総覧・埋蔵文化財包蔵地台帳には「倉林屋敷/クラ屋敷」として登載されている。帷子川水系の支流が形成する谷戸低地と台地縁辺部に占地し、『日本城郭大系』等の記述によれば川井本町の古刹・福泉寺(曹洞宗)の対岸に位置する「クラ屋敷」の屋号を持つ旧家周辺に比定されている。後背の台地斜面を背負い、前面に開けた低地や中原街道・八王子街道などの古道筋を扼する位置にあった。周辺の宅地造成や農地改変等により堀や土塁などの明確な土木遺構は失われているが、谷戸の地形や背後丘陵の切岸状斜面に中世在地武士の居館立地の痕跡をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

戦国時代に当地を治めた在地領主・倉林五郎左衛門(倉林氏)の居館と伝わる。近隣の福泉寺に残されていた梵鐘銘に「元禄十四年極月 倉林五郎左衛門藤原房次」の名が見られることから、倉林氏は藤原姓を名乗る土豪層であったと確認される。戦国期には小田原北条氏の支配下において小机衆・玉縄衆の勢力境目にあたる都筑郡川井郷周辺を警備し、中原街道や矢倉沢往還、鎌倉街道枝道が交錯する内陸交通網の安全確保や物資輸送の中継を担ったと推測される。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に伴い、後北条氏の滅亡とともに領主館としての軍事的役目を終えたとみられる。その後も倉林一族は当地周辺に土着し、近世を通じて有力名主層として存続したとされる。

👀 見どころ

福泉寺対岸の「クラ屋敷」屋号伝承地および谷戸微高地を取り巻く中世居館の占地景観、館跡背後に連なる丘陵斜面に残る急峻な切岸状の傾斜地形、倉林氏一族の菩提や梵鐘銘伝承(倉林五郎左衛門藤原房次)を伝える曹洞宗清隆山福泉寺の歴史的寺域環境、中原街道沿いの交通要地として往時の街道支配を偲ばせる下川井・金が谷・三嶋神社一帯の古道風景、標高75mの高台から帷子川支流域や旭区・瀬谷区境界の丘陵地帯を見晴らす居館ならではの展望

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、旭区特産大根・白菜料理、三ツ境名物スイーツ・和菓子、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(12城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

相鉄本線三ツ境駅北口から相鉄バス(旭32・旭33・旭34系統等)で約8分「下川井町」または「金が谷」下車徒歩約5分、または三ツ境駅から徒歩約25分(帷子川水系支流沿い、福泉寺対岸から金が谷・下川井町境界丘陵地一帯、標高約75m、比高約20m)

車でのアクセス

保土ヶ谷バイパス 下川井ICから中原街道(県道45号)経由で南西へ車で約3分、または東名高速道路 横浜町田ICから国道16号経由で南東へ約8分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る