概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(御楼門木造復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(御楼門両脇塀・土塀木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
鹿児島城(かごしまじょう)は、鹿児島県鹿児島市城山町に所在する錦江湾(鹿児島湾)と桜島を望む城山(標高約107メートル、比高約97メートル)東麓の平地および山頂部に築かれた薩摩藩島津氏の本拠たる近世城郭跡である。「鶴丸城」とも称され、鹿児島県指定史跡、日本100名城に選定。関ヶ原合戦後の慶長6年に第18代当主・島津家久(忠恒)が築城を開始した。背後の険峻なシラス台地「城山」を非常時の詰城とし、山麓に本丸と二之丸を梯郭状に配した居館中心の縄張構造を持つ。天守を一切造営せず、石垣や堀も実質的な防御機能に特化させた極めて質素な平山城であり、「城をもって城と成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩の独自の武士道精神を象徴する。令和2年(2020年)には日本最大の城門とされる堂々たる本丸正門「御楼門」が木造忠実復元され、威風堂々たる往時の景観を再現している。
歴史的役割
関ヶ原の退き口で知られる島津義弘・家久父子が中世の内城から拠点を移し、77万石(表高)におよぶ薩摩藩の政治・行政・軍事の中枢として機能した。城下に城下町を集中させず、領内各地に郷士を配置する特異な防衛制度「外城制(麓集落)」を敷いたため、本城自体に豪壮な天守や重層な櫓は不要とされた。幕末には28代当主・島津斉彬が集成館事業を展開して近代洋式軍備・製鉄・造船を推進し、明治維新を牽引する西郷隆盛や大久保利通ら幕末の英傑を輩出する原動力となった。明治6年に本丸御殿が失火で焼失し、明治10年(1877年)の西南戦争では城山一帯が西郷軍最後の激戦地(城山の戦い)となり、本丸石垣各所には激しい銃撃戦を物語る無数の弾痕が刻まれている。城内本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建てられ、薩摩藩700年の歴史文化を発信している。
見どころ
絵図・古写真を徹底考証して令和2年に木造忠実復元された日本最大の威容を誇る本丸正門「御楼門(二層二階櫓門)」、本丸・二之丸を画する水堀および野面積み石垣に今なお無数に刻まれた西南戦争激戦の生々しい「銃弾痕」、非常時の詰城として機能した中世山城の空堀・堀切・土塁遺構を残す背後の「城山(国指定史跡・天然記念物)」、城山展望台から眼下に広がる鹿児島市街と大迫力の活火山「桜島・錦江湾」の絶景パノラマ、本丸跡に立地し島津家伝来の国宝太刀などを展示する「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」、西郷隆盛が自刃した洞窟・終焉の地・西郷隆盛銅像、県指定史跡碑・日本100名城スタンプ設置所・案内板
ご当地グルメ
鹿児島黒豚料理(黒豚とんかつ・黒豚しゃぶしゃぶ)、白熊(天文館発祥のかき氷スイーツ)、さつま揚げ(揚げ立てつけあげ)、鶏飯(奄美郷土料理)、鹿児島ラーメン(白濁豚骨・キャベツ入り)