概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
新高山城(にいたかやまじょう)は、広島県三原市本郷町本郷に所在する沼田川西岸の険峻な山塊(標高約198メートル、比高約170メートル)山頂部に築かれた毛利両川の一角・小早川氏の本拠たる巨大連郭式山城跡である。沼田川を挟んだ対岸の高山城から拠点を移す形で築造され、国の史跡、続日本100名城(173番)に選定。毛利元就の三男で沼田小早川家を継いだ名将・小早川隆景が天文21年に築城した。山頂の本丸・中の丸・西の丸をはじめ、匡真寺跡、釣井の段、鐘の段、ライオン岩郭など尾根筋全域に多数の曲輪が連郭・群郭状に広がる。各曲輪の切岸や虎口には戦国期初頭から織豊期への過渡期を示す野面積み石垣が良好に遺存し、巨大な岩盤を穿った井戸(釣井の段)や礎石建物跡、寺院跡が点在。沼田川の水運と瀬戸内海の制海権を握る水陸交通の要衝に位置し、西国屈指の規模を誇る中世要塞の威容を保つ。
歴史的役割
戦国大名毛利氏の防長・山陽平定および瀬戸内海支配を支えた軍事・外交・政治の中枢として機能した。小早川隆景は本城を拠点として小早川水軍を組織・統率し、厳島の戦い(1555年)や毛利氏の九州出兵、織田信長との石山合戦(木津川口の戦い)で水軍を率いて大功を立てた。城内には一門や重臣の屋敷のみならず、菩提寺である匡真寺(のちの米山寺)を配するなど宗教・行政の中枢機能を集約。天正年間の豊臣秀吉による中国攻めに際しても強固な防衛拠点として対峙した。秀吉への臣従後は四国征伐や九州征伐の出撃拠点となり、瀬戸内海舟運の重要性が高まるにつれて、隆景は沼田川河口の海城である三原城の拡張・整備を推進。慶長元年(1596年)頃に本拠を三原城へ完全移転したことで廃城となった。戦国最盛期の縄張と石垣遺構が後世の近世改変を受けずそのまま残されている。
見どころ
本丸や二の丸周囲の斜面を強固に固める戦国期の貴重な「野面積み石垣群」および虎口遺構、巨大な花崗岩盤を掘り抜いて築かれ現在も水を湛える六口の井戸跡「釣井の段(大井戸)」、小早川隆景が父母(毛利元就夫妻)や妻の菩提を弔うため建立した広大な寺院跡「匡真寺跡(礎石建物遺構)」、尾根筋を鋭利に遮断する深大な「堀切」群や急峻な「切岸」、巨石が城郭防御の要衝に鎮座する「ライオン岩」遺構、山頂本丸から見渡す沼田川流域・本郷市街・対岸の高山城跡・遠く瀬戸内海方面の雄大な眺望、対岸の小早川氏旧本拠「高山城跡」と対をなす国指定史跡景観、国指定史跡碑・案内板