概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | なし | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
中原城(中原館)は、福岡県那珂川市中原六丁目の那珂川下流西岸に広がる沖積平野・低位段丘上に位置した中世平城(居館・方館)跡である。博多湾沿岸部と筑紫平野・佐賀方面を結ぶ水陸交通の要路を扼する要衝に占地していた。中世の有力在地領主・武士団の屋敷地とされ、堀や土塁を方形に巡らせた単郭の方形館形式をとっていたと推定されている。後世の農地開墾やJR博多南駅周辺の急速な宅地・商業地開発、区画整理により地表の堀や土塁などの明瞭な城郭遺構は消滅している。周辺一帯は那珂川市および福岡県の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世城館・集落跡「中原遺跡」として登載されており、発掘調査等で中世の溝状遺構や土器・陶磁器片が検出されている。
歴史的役割
鎌倉時代から室町時代にかけて、那珂郡中原郷を本拠とした在地武士・中原氏の居館として機能したと伝えられる。中原氏は太宰府天満宮領や武家方勢力と結びつきながら平野部の水利や農地支配を掌握した。戦国時代には大友氏や少弐氏、のちに勢力を伸ばした秋月氏・筑紫氏ら戦国大名・国人領主の抗争地帯となった那珂川流域において、近隣の岩戸城や猫峠城、安徳城など山城群の平野部連絡・物資集積拠点として機能したと考えられる。天正14〜15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、筑前全域で中世在地領主層の改編・武装解除が進められた過程で役目を終え、廃城・屋敷解体となったとみられる。
見どころ
那珂川流域の平野部に展開した中世方形居館の立地地形、JR博多南駅周辺の街並みの中に息づく「中原」の歴史的地名、那珂川の清流と近接する脊振山系の山並みを望む景観
ご当地グルメ
概要・現地案内板
中原城は、1582年(天正10年)に農民が戦国大名である大友軍と戦うために築かれた城です。
大友軍が岩戸庄を筑紫氏から奪い返すために攻め込んだ際、那珂川の中原に住む農民たちが略奪から逃れるために、自ら城を築いて立てこもりました。
丘陵を利用した堅固な城で、広い堀を持っていました。
現在は、新幹線の車両基地の西側にあり、中原四丁目の保育園付近に城址があると言われていますが、櫓台のような小山が残るのみで、中に入ることはできません。
城犬のおいど 攻城記録
新幹線 博多基地之碑
新幹線の車両基地碑がある辺りも城域と推定されます。

青葉桐の花保育園
保育園のあたりが城址になるので立ち入ることは出来ません。

土塁
園内に土塁らしきものが見えますが、残念ながら部外者はこれ以上は近付かない方が良いでしょう。

2026/1最終訪問
