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100名城・続100名城 -
別称 大穂城跡、大保城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 92.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置単郭式
築城者不明
築城年不明
廃城年不明
主な城主宗像氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:92.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

大穂城は、福岡県宗像市大穂の北へ張り出した標高約60メートルの丘陵尾根先端頂部に築かれた室町・戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡II』等の遺跡台帳に登載されている。主郭は単郭構造を呈し、山頂部を平坦に削平した削平地が広がる。南側背後は自然の鞍部によって尾根と区画されており、北側斜面には後世の改変による段曲輪状の地形が確認できる。東側斜面にはかつて竪堀が存在したとされるが、近年の治山工事等によって改変・消滅している。釣川中流域に開けた大穂・用山方面の低地平野部や周囲の集落・農耕地を見下ろす位置にあり、平野部と丘陵部を結ぶ小規模な物見・監視拠点としての地勢を留めている。

⚔️ 歴史的役割

築城年代や城主の詳細は未詳であるが、宗像大宮司家・宗像氏の勢力圏内に所在することから、本城である白山城や重要支城である許斐岳城を補完する前哨監視砦・物見台として機能したと推測される。大穂地区には宗像一族・許斐氏の菩提寺であり小早川隆景公墓所や名島城搦手門移築伝承を持つ古刹・宗生寺が近接しており、古くから宗像氏一門の勢力地盤であった。釣川水系の街道や間道を監視し、戦国期における大友勢力や秋月勢力の進侵に対する警戒網の一端を担ったと考えられる。天正14年(1586年)の宗像氏断絶および豊臣秀吉の九州平定に伴い、役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

山頂主郭部の平坦削平地および周囲に施された切岸状の急斜面、南側背後を尾根から区画する自然鞍部の遮断地形、釣川流域および大穂平野を見晴らす丘陵先端頂部からの眺望、許斐氏ゆかりの古刹・宗生寺(名島城搦手門移築山門・小早川隆景公墓所)など近隣の中世史跡群と連動した宗像氏関連遺跡探訪

🍲 ご当地グルメ

宗像天然アナゴ料理、玄界灘活イカ、宮地嶽名物松ヶ枝餅、宗像大豆うどん、鶏すき(宗像郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(15城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線東福間駅から徒歩約45分、またはJR東郷駅日の里口から宗像市コミュニティバス(ふれあいバス)利用後、大穂集落北端の尾根取り付きより山頂主郭まで山道徒歩約15分

車でのアクセス

九州自動車道 若宮ICまたは古賀ICから国道3号バイパスおよび県道経由で北西へ車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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