概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
荏田城(えだじょう)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町(旧武蔵国都筑郡荏田郷)の早渕川南岸に面した標高約50メートル(比高約25メートル)の舌状台地頂部に築かれた中世城郭跡である。横浜市埋蔵文化財包蔵地台帳(青葉区No.16)に登載されている。大山街道(矢倉沢往還)の宿場町として栄えた荏田宿を見下ろす要衝に占地し、本丸・二の丸・三の丸などの曲輪が尾根筋に沿って連郭式に配されていた。東名高速道路の開削や宅地開発により城域の南部は分断・改変されたが、北側の城山緑地や竹林内に幅約10メートルの大規模な空堀(堀切)や土塁、鋭い切岸加工面が良好に残存する。青葉区内でも屈指の良好な中世土木遺構をとどめる城跡として知られる。
歴史的役割
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、武蔵武士団(秩父平氏流)の江田源三広基が館を構えたことに始まると伝わる。戦国時代には後北条氏の支配下に入り、小机城を本城とする「小机領」の主要な支城ネットワークの一角に組み込まれた。大山街道や鎌倉街道中道が交差する陸上交通の要衝を押さえ、小田原と江戸・八王子方面を結ぶ伝馬・軍事連絡路の中継拠点として機能した。永禄12年(1569年)の武田信玄による小田原侵攻時の情勢や、北条氏の境目防衛網において重要な役割を果たしたと考えられている。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡したことに伴い廃城となった。
見どころ
本丸と二の丸の間を分断する大規模な空堀(堀切)遺構、曲輪縁辺部に明瞭に残存する土塁の高まり、早渕川低地に向かって落ち込む急峻な切岸斜面、本丸跡付近に設置された解説案内板および城山石碑、荏田宿(大山街道)を見下ろす軍事・交通要衝の地形環境、開発の波を免れて竹林の中に中世の土木景観が奇跡的に残る城山緑地の風情
ご当地グルメ
横浜家系ラーメン、サンマーメン、青葉区産梨(浜なし)スイーツ、たまプラーザ・市が尾欧風ベーカリーパン、ハマぽーく豚肉料理