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100名城・続100名城 -
別称 岡津陣屋、岡津代官所、岡津城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 46m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者上杉朝良
築城年室町時代
廃城年慶長11年(1606年)
主な城主上杉氏、太田氏、彦坂氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:46m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

岡津城(おかづじょう)は、神奈川県横浜市泉区岡津町(旧相模国鎌倉郡岡津郷)の阿久和川とその支流・子易川の合流点北側に突き出た標高約48メートル(比高約30メートル)の舌状丘陵上に所在した中世城郭・近世陣屋跡である。現在は横浜市立岡津小学校、岡津中学校、三嶋神社等の敷地となっている。南に向かって張り出した丘陵尾根上に本丸や二の丸などの曲輪が連郭式に造成され、東海道と鎌倉、大山道・八王子方面を結ぶ交通の十字路を見下ろす要害であった。後北条氏滅亡後の徳川家康関東入国時には、徳川氏の代官頭・彦坂小刑部元正の知行地となり南郭跡に「岡津陣屋(岡津代官所)」が設置された。現在も小学校と三嶋神社境内の境界周辺などに明瞭な土塁や空堀、切岸の痕跡が残存し、三嶋神社鳥居前には石碑が建つ。

⚔️ 歴史的役割

室町時代後期に関東管領上杉氏の一族である扇谷上杉定正の子・上杉朝良が本拠のひとつとして築き、相模・武蔵の境目防衛拠点としたと伝わる。永正9年(1512年)、伊勢宗瑞(北条早雲)が鎌倉に進出し玉縄城を築いた前後に攻略され、後北条氏の支配下に入った。『小田原衆所領役帳』では「島津衆」に属する北条家臣・太田大膳亮の知行地として岡津の名が見え、玉縄城・小机城の支城網として機能した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、徳川家康配下の代官頭・彦坂元正が入り岡津陣屋を構えて天領支配の拠点とした。しかし慶長11年(1606年)に彦坂氏が失脚・改易されたことに伴い陣屋も廃絶した。

👀 見どころ

岡津小学校と三嶋神社の間に極めて良好に残存する高さ約2〜3mの土塁遺構、尾根筋を区画していた空堀・堀切の痕跡、阿久和川低地に向かって急激に落ち込む切岸状斜面、三嶋神社鳥居脇に建つ岡津城・岡津陣屋の石碑および横浜市教育委員会設置の解説案内板、徳川家康の代官頭・彦坂元正が治めた陣屋(代官所)としての重層的な歴史景観、標高48mの丘陵上から阿久和川・子易川流域および大山・富士山方面を見晴らす要害眺望

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、泉区産新鮮野菜(やまゆりポーク・トマト)料理、弥生台・いずみ野欧風スイーツ、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

相鉄いずみ野線緑園都市駅または弥生台駅から徒歩約20分、またはJR東海道線・横須賀線・横浜市営地下鉄戸塚駅東口から神奈川中央交通バス(戸09・戸39系統等)で約15分「岡津」または「岡津小学校前」下車徒歩約3分(横浜市立岡津小学校・岡津中学校および三嶋神社一帯、標高約48m、比高約30m)

車でのアクセス

横浜新道 上矢部ICから県道218号および県道401号経由で西へ車で約8分、または保土ヶ谷バイパス 南本宿ICから車で約12分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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