概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
岡津城(おかづじょう)は、神奈川県横浜市泉区岡津町(旧相模国鎌倉郡岡津郷)の阿久和川とその支流・子易川の合流点北側に突き出た標高約48メートル(比高約30メートル)の舌状丘陵上に所在した中世城郭・近世陣屋跡である。現在は横浜市立岡津小学校、岡津中学校、三嶋神社等の敷地となっている。南に向かって張り出した丘陵尾根上に本丸や二の丸などの曲輪が連郭式に造成され、東海道と鎌倉、大山道・八王子方面を結ぶ交通の十字路を見下ろす要害であった。後北条氏滅亡後の徳川家康関東入国時には、徳川氏の代官頭・彦坂小刑部元正の知行地となり南郭跡に「岡津陣屋(岡津代官所)」が設置された。現在も小学校と三嶋神社境内の境界周辺などに明瞭な土塁や空堀、切岸の痕跡が残存し、三嶋神社鳥居前には石碑が建つ。
歴史的役割
室町時代後期に関東管領上杉氏の一族である扇谷上杉定正の子・上杉朝良が本拠のひとつとして築き、相模・武蔵の境目防衛拠点としたと伝わる。永正9年(1512年)、伊勢宗瑞(北条早雲)が鎌倉に進出し玉縄城を築いた前後に攻略され、後北条氏の支配下に入った。『小田原衆所領役帳』では「島津衆」に属する北条家臣・太田大膳亮の知行地として岡津の名が見え、玉縄城・小机城の支城網として機能した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、徳川家康配下の代官頭・彦坂元正が入り岡津陣屋を構えて天領支配の拠点とした。しかし慶長11年(1606年)に彦坂氏が失脚・改易されたことに伴い陣屋も廃絶した。
見どころ
岡津小学校と三嶋神社の間に極めて良好に残存する高さ約2〜3mの土塁遺構、尾根筋を区画していた空堀・堀切の痕跡、阿久和川低地に向かって急激に落ち込む切岸状斜面、三嶋神社鳥居脇に建つ岡津城・岡津陣屋の石碑および横浜市教育委員会設置の解説案内板、徳川家康の代官頭・彦坂元正が治めた陣屋(代官所)としての重層的な歴史景観、標高48mの丘陵上から阿久和川・子易川流域および大山・富士山方面を見晴らす要害眺望
ご当地グルメ
横浜家系ラーメン、サンマーメン、泉区産新鮮野菜(やまゆりポーク・トマト)料理、弥生台・いずみ野欧風スイーツ、ハマぽーく豚肉料理