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100名城・続100名城 -
別称 間宮屋敷、笹下陣屋、佐々木城、笹下城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 53.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者佐々木盛綱
築城年文治年間(1185〜1189年)頃
廃城年天正18年(1590年)
主な城主佐々木氏、間宮氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:53.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

笹下城(ささげじょう)は、神奈川県横浜市磯子区洋光台から港南区笹下にかけて広がる標高約65メートル(比高約45メートル)の舌状丘陵上に所在した中世城郭跡である。大岡川上流域と笹下川を見下ろす要衝に占地し、本丸跡とされる成就院(真言宗大日山)や天照大神、梅花ヶ谷(陣屋跡)、関架(木戸跡)などにまたがる広大な城域を有した。丘陵頂部を中心に複数の郭が連郭式に配され、周囲の急崖を切岸として活用し、空堀や堀切、土塁、井戸(雑色井戸)が設けられていた。昭和期の洋光台団地造成等により城域の大半が宅地化されたが、成就院周辺の地形や墓地奥の土塁状高まり、切岸斜面、山麓の「笹下城跡」石碑および解説板に武蔵南部の要塞としての面影をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

文治年間に源頼朝の重臣・佐々木盛綱が築いたと伝わり、戦国時代には小田原北条氏の有力家臣で水軍・陸戦に秀でた間宮氏(間宮康俊・信元ら)が本拠として大改修を行った。北条氏の房総里見氏に対する東京湾岸防衛網(三浦半島〜横浜沿岸)の中核を担い、杉田陣屋(杉田要害)や森砦と連携して本牧・根岸湾から鎌倉・小田原へ至る交通路を遮断・防衛する軍事拠点として機能した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、城主・間宮康俊は主力を率いて伊豆山中城で討死し、城代の間宮綱信らが守る笹下城も徳川家康軍の進攻により落城・廃城となった。徳川入国後、間宮一族は幕府旗本として登用され、測量家・探検家の間宮林蔵の先祖筋としても知られる。

👀 見どころ

本丸跡に建つ古刹・成就院境内の要害地形および背後に残る土塁痕跡、丘陵縁辺部に確認できる中世山城ならではの急峻な切岸状急斜面、成就院門前に設置された「笹下城跡」石碑および横浜市教育委員会による城郭解説板、間宮氏の居館・陣屋跡と伝わる梅花ヶ谷や木戸跡の関架などの城郭関連地名景観、山麓に残る間宮氏ゆかりの雑色井戸跡伝承地、標高65mの高台から大岡川流域・磯子沿岸・港南方面を見渡す城郭立地展望

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、生麦穴子天丼、磯子・根岸の海鮮丼、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(16城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR根岸線洋光台駅から徒歩約15分、または京急本線上大岡駅・磯子駅から江ノ電バス・横浜市営バスで「洋光台入口」または「笹下城跡」下車徒歩約5分、または成就院・天照大神・洋光台一丁目周辺丘陵(標高約65m、比高約45m)

車でのアクセス

首都高速湾岸線 磯子出入口から環状2号および県道22号経由で南西へ車で約10分、または横浜横須賀道路 港南台ICから北へ約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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