概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
青ヶ台城(あおがだいじょう)は、神奈川県横浜市金沢区釜利谷東四丁目の阿王ヶ台団地周辺(標高約56メートル、比高約53メートル)の舌状丘陵上に所在したとされる中世城郭跡である。別名「青ヶ城」「青ケ台城山」「金沢城」とも呼ばれる。鎌倉外港の六浦港と鎌倉を結ぶ交通の要衝を北側丘陵から見下ろす好位置に占地し、鎌倉幕府第15代執権・金沢貞顕の子である金沢冬貞の居城であったと伝承される。丘陵の地形を活かして曲輪や切岸、堀切等が配されていたと推測されるが、昭和期の阿王ヶ台団地造成に伴う大規模な宅地開発により主要な土木遺構は滅失している。しかし、南西の平野部や宮川流域を見下ろす丘陵斜面など、要害地形の面影を今なお周辺地形にとどめている。
歴史的役割
鎌倉幕府の実権を握った北条氏の一門で、金沢文庫創設や称名寺建立で知られる名門「金沢流北条氏(金沢氏)」の拠点城郭と伝わる。幕府評定衆や引付衆を務めた金沢冬貞の居城とされ、鎌倉の外港として海外貿易・国内海運で繁栄した六浦港の掌握・警固、および金沢街道(朝比奈切通)を経て鎌倉へ至る軍事・経済交通路の防衛において極めて重要な役割を果たした。元弘3年(1333年)の新田義貞による鎌倉攻めと幕府滅亡に伴い、金沢北条氏一門が没落したことで城郭としての使命を終えたと考えられる。近隣の笹下城や野庭関城などとともに、武蔵南部・三浦半島北部の防衛ラインを構成した鎌倉期の武将拠点である。
見どころ
阿王ヶ台団地および阿王ヶ台公園一帯に残る舌状丘陵の要害地形、団地南側斜面に確認できる中世平山城ならではの急峻な切岸状段差、六浦湊・金沢八景方面および平野部を見下ろす台地上の眺望、近隣に位置する金沢北条氏ゆかりの国史跡「称名寺」および「神奈川県立金沢文庫」の歴史環境、鎌倉防衛外郭ネットワーク(朝比奈切通・六浦街道)を体感できる周辺の古道・谷戸地形
ご当地グルメ
金沢八景アナゴ料理(穴子天ぷら・丼)、金沢文庫家系ラーメン、横浜南部市場海鮮丼、シラス丼・生シラス料理、柴口漁港江戸前太刀魚料理