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100名城・続100名城 -
別称 青木城跡、本覚寺城、多米氏館
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 39.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者多米元興
築城年大永年間(1521〜1528年)
廃城年天正18年(1590年)
主な城主多米氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:39.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

青木城(あおきじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区高島台(旧武蔵国橘樹郡青木郷)の標高約24メートル(比高約20メートル)の臨海舌状台地上に築かれた戦国時代の平山城跡である。横浜市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。現在の曹洞宗青木山本覚寺境内から高島台一帯に占地し、東隣に位置した権現山城(幸ヶ谷公園)とはかつて同一の丘陵尾根で連続していた。東海道を見下ろし東京湾(袖ヶ浦)を望む要衝であったが、幕末の神奈川台場造成に伴う大規模な土取りや、明治以降の鉄道敷設(JR・京急線開削)、都市化・宅地開発により堀や土塁などの主要土木遺構は滅失した。しかし、東海道を見下ろす急峻な切岸状の台地縁辺地形に中世城郭の面影を留めている。

⚔️ 歴史的役割

三河国八名郡多米郷出身で、伊勢宗瑞(北条早雲)に従って武蔵国に入部した小田原北条氏の重臣・多米元興によって大永年間に築かれたと伝わる。『小田原衆所領役帳』では「御馬廻衆」として多米大膳亮の名が見え、多米氏累代の居城となった。神奈川凑・青木宿を見下ろす軍事・交通の要衝を統括し、小机城の支城群や対岸の房総半島・東京湾海運を睨む警戒拠点を担った。永正7年(1510年)の権現山合戦ゆかりの地にも近く、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡した際に多米氏も没落して廃城となった。幕末には城跡である本覚寺にアメリカ総領事館が置かれ、タウンゼント・ハリスらが滞在した近代外交の舞台としても名高い。

👀 見どころ

本覚寺境内が位置する高島台東端の切岸状急傾斜地および台地平坦面、江戸時代まで同一丘陵として連なっていた権現山城(幸ヶ谷公園)との地形的連続性、神奈川宿・東海道および東京湾(横浜港)方面を見下ろす要衝の展望、本覚寺境内に残る幕末のアメリカ領事館跡碑・生麦事件負傷者治療の地碑、多米氏の事績と近世・近代史が重層する歴史環境

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、生麦穴子天ぷら・丼、牛鍋(横浜発祥料理)、シュウマイ(崎陽軒)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(17城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

京急本線神奈川駅から徒歩約3分、または東急東横線反町駅から徒歩約5分、JR各線・東急東横線・相鉄本線横浜駅きた西口から徒歩約10分(高島台・本覚寺境内、標高約24m、比高約20m)

車でのアクセス

首都高速神奈川1号横羽線 横浜駅東口出入口または金港JCTから車で約5分、または第三京浜道路 保土ヶ谷ICから車で約10分

駐車場

有(本覚寺参拝者用駐車場利用、無料約10台)

📍 周辺地図

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