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100名城・続100名城 -
別称 飯島城、飯島館、殿谷城、飯島殿谷城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 37.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者飯島氏
築城年鎌倉時代
廃城年室町時代
主な城主飯島氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:37.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

飯島殿谷城(いいじまとのやじょう)は、神奈川県横浜市栄区飯島町(旧相模国鎌倉郡飯島郷)のいたち川と柏尾川が合流する水系北側の丘陵頂部(標高約55メートル、比高約35メートル)に所在した中世山城(平山城)跡である。横浜市埋蔵文化財包蔵地台帳に「殿谷城跡」として登載されている。谷戸が複雑に入り組む丘陵尾根上に占地し、地名「殿谷」が示す通り谷戸の奥部を取り囲むように曲輪群が配されていた。主郭部は削平され、背後や尾根続きを遮断する堀切や空堀、急峻な切岸加工面、土塁痕跡が残存する。柏尾川流域の低地平野および鎌倉へと通じる古道筋を眼下に見下ろす要害に位置し、現在は一部が宅地や山林となっているものの、谷戸奥に拠点を構える典型的な中世鎌倉武士の要塞・城館形態をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

平安時代末期から鎌倉時代にかけて当地を本拠とした鎌倉幕府御家人・飯島氏(平姓秩父一族・大庭氏庶流)の居城・詰城と伝えられる。飯島氏は源頼朝の挙兵以降、幕府宿老を支える武士団として活動した。飯島郷は鎌倉の北の入口にあたる交通の要衝であり、戸塚方面から鎌倉へと至る鎌倉街道(下の道・中の道支線)や柏尾川の水運を監視・防衛する軍事拠点として機能した。室町時代から戦国時代にかけては関東管領上杉氏や扇谷上杉氏、さらには後北条氏の支配下で境目警備や支城網の一翼を担ったと推測されるが、玉縄城が築かれて近隣の軍事中核となるとその重要性を譲り、後北条氏の勢力再編に伴い廃城となったと考えられる。

👀 見どころ

「殿谷」の地名が残る谷戸奥の急峻な丘陵頂部に造成された主郭削平地、尾根筋を遮断する堀切・空堀の明瞭な土木遺構、曲輪縁辺部を取り巻く急傾斜の切岸加工斜面、主郭周辺に残る土塁状の高まり、飯島氏ゆかりの古刹・光傳寺や飯島八幡宮が近接する歴史的谷戸環境、標高約55mの丘陵上から柏尾川・いたち川合流点および大船・戸塚方面を見渡す中世城郭の展望景観

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、大船軒鯵の押寿し、サンマーメン、本郷台・栄区野菜(トマト・枝豆)料理、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道線・横須賀線・根岸線大船駅西口から神奈川中央交通バス(船05・船07等)で約7分「飯島団地入口」下車徒歩約5分、またはJR根岸線本郷台駅から徒歩約25分(殿谷戸・光傳寺南東側丘陵、標高約55m、比高約35m)

車でのアクセス

横浜横須賀道路 日野ICから環状3号線および県道23号経由で南西へ車で約15分、または首都圏中央連絡自動車道(圏央道)栄IC(横浜環状南線)から車で約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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