概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(平郎門修復復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
今帰仁城(なきじんじょう)は、沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊に所在する本部半島北部の石灰岩丘陵(標高約100メートル、比高約80メートル)上に築かれた琉球王国成立期の中世大型グスク(城郭)跡である。「今帰仁グスク」「北山城」とも称され、ユネスコ世界文化遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)、国の史跡、日本100名城に選定。13世紀末頃の築城とされ、三山時代には沖縄本島北部を領有した「北山王国」の王城として威容を誇った。堅硬な古生代石灰岩を積み上げた野面積みの城壁が地形の尾根に沿って蛇行しながら連なり、総延長は1.5キロメートルに及ぶ。城内は主郭(本丸)、大隅(ウーシミ)、御内原(ウーチバール)、大庭(ウーミャー)、外郭など多数の郭が階段状・連郭状に配置されている。発掘調査では主郭の礎石建物跡群とともに大量の中国産陶磁器(元・明代の青磁・白磁)が出土し、東アジア海域世界を舞台とした広大な中継貿易の拠点であった実態が確認されている。
歴史的役割
三山分立時代における北山王(怕尼芝・珉・攀安知の三代)の本拠として強大な軍事力と経済力を誇り、明へ朝貢使節を派遣するなど独自の王権を築いた。応永23年(1416年)、中山王・尚巴志が名将・護佐丸らを率いて侵攻した「北山討伐」により落城し、北山王国は滅亡した。統一後は琉球王府が北部地域統治の重職として「北山監守」を派遣し、第二尚氏時代には具志川御殿の歴代監守が駐留する軍事・行政要衝として維持された。しかし慶長14年(1609年)の薩摩藩島津氏による琉球侵攻において、樺山久高率いる薩摩軍の猛攻を受け炎上・落城。以後、監守制度の首里引き揚げに伴って城郭としての使命を終えた。廃城後も「今帰仁森」などの御嶽(拝所)が守護され、今帰仁ノロによる祭祀儀礼の霊場として現代に至るまで地域信仰の拠り所となっている。
見どころ
古生代石灰岩の巨石を野面積みで積み上げ万里の長城のように稜線をうねる全長1.5kmの壮麗な「石垣城壁」、昭和期に修復復元された城の正門である堅牢なアーチ型石門「平郎門」、兵馬の訓練場や有事の戦力集結地と伝わる広大な窪地状の郭「大隅(ウーシミ)」、王の住居跡・政庁礎石群が良好に残る「主郭」および神女たちが祈りを捧げた聖域「御内原(ウーチバール)」、主郭から望むコバルトブルーのエメラルドグリーンの東シナ海・伊平屋島・伊是名島の絶景パノラマ、旧正月時期に咲き誇る日本一早い桜の名所(寒緋桜・桜まつり)、出土した中国陶磁器や北山監守の歴史を展示する「今帰仁村歴史文化センター」、国指定史跡碑・世界遺産記念碑・案内板
ご当地グルメ
今帰仁アグー料理(アグー豚のしゃぶしゃぶ・とんかつ・丼)、今帰仁スイカ(日本一早い出荷を誇る名産)、沖縄そば(やんばる手打ちそば・ソーキそば)、海ぶどう丼・島魚マース煮、サーターアンダギー(揚げたて沖縄伝統菓子)