概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
志布志城(しぶしじょう)は、鹿児島県志布志市志布志町帖に所在する志布志湾に注ぐ前川北岸の急峻なシラス台地(標高約65メートル、比高約50メートル)上に築かれた中世南九州屈指の群郭式山城跡である。国の史跡、続日本100名城(197番)に選定。一般に志布志城と総称される城域は、中枢の「内城」をはじめ「松尾城」「高城」「新城」の4つの独立した城郭群から構成される。火砕流堆積物であるシラス特有の浸食地形を極限まで削り込んだ垂直に近い巨大な切岸や、深さ十数メートルにおよぶ深大な空堀(堀切)が迷路のように張り巡らされている。本丸にあたる主郭を中心に矢倉場、中野久尾、大野久尾などの平坦面が複雑に配置され、発掘調査では掘立柱建物跡や鍛冶炉跡、中国・東南アジア産の陶磁器が出土。シラス台地山城の築城土木技術の頂点を示す城郭遺跡である。
歴史的役割
中世を通じて志布志湾の国際貿易港(志布志湊)の支配権を巡る激しい争奪戦の軍事・防衛拠点として機能した。南北朝期に救仁郷重基が築城したと伝わり、楡井氏、島津氏、肝付氏の間で激しい攻防が繰り返された。戦国期には大隅の有力国人・肝付兼続が本城を奪取し、日向・大隅制覇の足がかりとしたが、天正5年(1577年)に島津義久が奪還。島津氏領国下では肝付兼篤が城主を務めた後、新納忠元が城主となり、豊臣秀吉の九州平定に際しても重要な戦略的抑えとなった。文禄4年(1595年)の太閤検地に伴い豊臣五奉行の浅野長政の飛地代官領となった特異な経緯を持ち、慶長4年(1599年)の庄内の乱では島津軍の兵站集結拠点となった。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったが、その後山麓には薩摩藩独特の外城制度に基づく「志布志郷士直轄の麓集落(麓武家屋敷群)」が形成され、近世へ軍事行政機能が受け継がれた。
見どころ
シラス台地を垂直に断ち割り敵の進入を迷路状に遮断する深さ10〜15mにおよぶ圧巻の「大空堀(堀切)」群、天然の急崖を人工的に削り落として防壁化した豪壮な「切岸」および曲輪周囲の「土塁」遺構、内城・松尾城・高城・新城が相互に連携し合う南九州特有の「群郭式(別城一郭)縄張構造」、内城主郭(本丸)や矢倉場跡などの広大な曲輪群、志布志湾の交易港を見下ろす天然の要害立地、山麓に連なり石垣や生垣・武家門が完存する「国選定重要伝統的建造物群保存地区・志布志麓武家屋敷群」、志布志市埋蔵文化財センター(続日本100名城スタンプ設置)、国指定史跡碑・案内板