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100名城・続100名城 -
別称 加賀原殿山、加賀原城、池辺城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 63.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者中田加賀守
築城年戦国時代
廃城年天正18年(1590年)
主な城主中田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:63.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

池辺城(いけべじょう)は、神奈川県横浜市都筑区加賀原一丁目(旧都筑郡池辺村・川和村境)に所在した戦国時代の平山城跡である。「加賀原殿山」とも呼ばれ、『日本城郭全集』等の専門資料に登載されている。鶴見川中流南岸を望む標高約55メートル(比高約35メートル)の「加賀原」と呼ばれる下末吉台地頂部に占地した。港北ニュータウン開発および宅地造成に伴い遺構の大半は消滅したが、港北配水池東側付近に「二の丸」、北側に「三の丸」「大丸」「小丸」「中丸」などの城郭関連字名が散在していたことが確認されている。台地縁辺部には平山城特有の急峻な切岸状傾斜面が残り、小机城を中核とする後北条氏防衛網の一翼を担う軍事拠点であった。

⚔️ 歴史的役割

『日本城郭全集』等の記録によれば、小机衆に属した小田原北条氏の家臣・中田加賀守の城であったとされる。「加賀原」の地名は中田加賀守の受領名に由来すると伝えられ、小机領内において戦の際に軍勢を集結させる駐屯拠点、あるいは兵馬の調練(練兵)を行う演習場として機能したと考えられている。北方の鶴見川低地および恩田川合流点付近の要衝を見下ろし、矢上城や小机城、佐江戸城、榎下城など鶴見川水系に配された諸支城ネットワークと連携して防備を固めていた。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡したことに伴い、城館としての役目を終えて自然廃城となったと考えられる。

👀 見どころ

かつて広大な曲輪群が展開していた加賀原台地(標高55m)の地形的広がり、周辺に遺存する「二の丸」「三の丸」「大丸」「小丸」といった中世城郭・曲輪の配置を示す字名・小字伝承地、台地東縁および南縁に残る中世平山城ならではの切岸状の急斜面段差、後北条氏家臣・中田加賀守の練兵場・集留地伝承を伝える歴史環境、月出松公園・港北配水池周辺の高台から鶴見川流域・港北ニュータウン方面を見渡す城郭立地ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、都筑野菜(小松菜等)中華料理、鴨居名物焼き鳥・もつ煮、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

横浜市営地下鉄グリーンライン川和町駅から徒歩約15分、またはJR横浜線鴨居駅から横浜市営バス(124系統等)で「加賀原」下車徒歩約5分、港北配水池・月出松公園南西側丘陵一帯(標高約55m、比高約35m)

車でのアクセス

第三京浜道路 港北ICから県道140号・市道経由で西へ車で約12分、または東名高速道路 横浜青葉ICから車で約15分

駐車場

有(月出松公園隣接または近隣コインパーキング利用、有料)

📍 周辺地図

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